
ゴダールも才能を認めた、日本初公開のフランス映画が3作同時公開!
フランス映画の名匠 アラン・ギロディ監督インタビュー
いま映画監督アラン・ギロディの名前を知っている人は、アテネ・フランセに通って映画漬けになっている一部のシネフィルだけだと思う。しかし彼こそゴダールが才能を認め、最新作『ミゼリコルディア』がフランスのアカデミー賞であるセザール賞作品賞候補になった名匠なのだ。ギロディ作品の特色は、おおらかな性描写と起伏に富むストーリー。生きることの喜びを描きつつ、欲望に盲目な登場人物がしっぺ返しを食わせられることもある。差別や先入観を鮮やかに覆す傑作の数々がやっと日本で公開される。またとない機会に監督へのオンラインインタビューを行った。
享受する権利があるのなら、なぜ欲望を満たすことを拒否するのだろうか
――監督の作品は緊張と緩和の緩急が素晴らしいです。緊張が急に緩んだり、緩んでいたのが急に緊張する場面展開にはどのような狙いがあるのでしょうか。先入観とか偏見を外していく、脱臼させるような狙いがあるのでしょうか。
狙いと言えば、少し大げさかもしれませんが、私の作品ではいつも、リラックスというよりも、軽やかさと深刻さを交互に描くようにしています。特に『ミゼリコルディア』と『ノーバディーズ・ヒーロー』の2作ではサプライズを狙ったところは確かにあります。『ノーバディーズ・ヒーロー』の方は、おそらく観客がこう来るだろうと予測するところを不安定にしたり、あるいはステレオタイプを逆手に取ったり、『ミゼリコルディア』の場合は、今までと何か違う新しいことをどんどん更新して行くという感じですね。驚かせるということでもあるし、それから観客がこうくるだろうというところをフェイントでそのようにはしない。何よりも観客の一人一人が自分で物語を、登場人物の関係性を見ながら組み立てて行くようにしています。
『ミゼリコルディア』
――なるほど。今回、日本公開される3作品の中で、私は特に『ノーバディーズ・ヒーロー』がとても好きなんです。性欲と食欲がとても大らかに健康に描かれていて、ラブレーみたいです。でも現代社会はアメリカの影響で世界中がプロテスタント的に禁欲的になっていると思うのですが、監督はご自分のカトリックや南仏の文化的バックボーンをどのように捉えていらっしゃるんでしょうか?
そうですね。カトリック文化は私の中にしっかりとあります。私は子どものころからカトリックの環境で育ってきました。洗礼を受けたり、カトリック教会の行事を体験してきました。思春期のころに無神論者になって今も無神論者ですが、キリスト教文化、カトリック文化については、やっぱり思い入れがあります。カトリック教会の教え、親和性みたいなものや、隣人愛、他者に対する共感などの教えにも思い入れがあります。
ただ、南仏の文化に思い入れがあるかといえばそうでもなくて、私の映画の土壌を作ってくれたのは、実家が家族で農業をやっていたことです。田舎の本当に小さな村の農業で、そうした世界や風景を私はよく知っています。それについて話したい思いがあるので、しばしば田舎が私の作品に登場してくるわけです。田舎とか森とか畑とか村といったものは、私から見たら童話性、寓話性があり、同時代の刻印を受けていないゆっくりした時間が流れている風景なので、気に入って採用しているんです。
『ノーバディーズ・ヒーロー』
――今回日本で公開される作品を、制作年順に『湖の見知らぬ男』『ノーバディーズ・ヒーロー』『ミゼリコルディア』と見ていくと、『湖の見知らぬ男』は本当にセックスシーンが多くて食事シーンが全然ないのですが『ノーバディーズ・ヒーロー』から少しずつ食べるシーンが増えてきて『ミゼリコルディア』は食卓のシーンがすごく多いんです。食欲は睡眠欲や性欲と並んで人間の生存欲の一つと言われているのでそこにフォーカスされたのでしょうか。それとも、性欲も食欲も他者と関わるため、食のシーンを増やしたのでしょうか。
じつは私自身は食べることにまったく興味がないんです。食べることや料理をすることには興味がないので、食べるのは死なないため、生きるために必要だから食べているぐらいなんです。どちらかと私自身はそれぐらい関心が薄いんですね。私の興味はセックスやアルコールの方なんです。だから今回の『ミゼリコルディア』でもアペリティフを飲むとか、すでに食事を終えているシーンが多いんですが、唯一本当の意味での食事のシーンは、ジェレミーが嫌々モリーユ茸のオムレツを食べるシーンということになりますね。確かにあなたがおっしゃるように、今回の作品ではテーブルについているシーンが多いですよね。一人でいるより誰かと何かを共有するというふうに登場人物が変わってきているということも言えると思います。
『ミゼリコルディア』
――特に神父が食卓にいるということで、ラテン語でユビキタスという言葉がありますが、常に神、あるいは良き隣人が一緒に居ると示されたのではとも感じたのですが、そういう意味もありましたか?
確かに、あの神父の存在には2つの意味があると思います。おっしゃるように神父は人間の良心を体現しています。『ピノキオ』のジミニー・クリケットのように、良心、或いは良心の呵責といった、常に何か、ニーチェがいうところの超自我がいつも自分を監視している、そうした超自我を神父が体現しているということも言えます。でも、もう一つ、単に神父はものすごくジェレミーに惹かれていて、男性としてジェレミーが行くところにはもうどこでも現れるほどにいつも近くにいたいということなんです。ですから、神父として守護神のように彼を守りたいという部分と、覗き見趣味的な、恋する男が常に欲望の対象を追っている世俗的な部分とを両方合わせ持っている存在なんです。
――そのモリーユ茸のオムレツのシーンはジェレミーは嫌々食べているとおっしゃいましたが、私はあのシーンを見て、ちょっと男性器みたいだと思ってしまったんです。そうしたアナロジーやイコノロジーを監督は意識されていたんでしょうか。
キノコの表象には確かに男性の性器を思わせるところはありますが、モリーユ茸は男性器を思わせるキノコのトップクラスとは言えないですね。もっとそっくりなのもあります。あまりシンボルを増やすことには、私は興味がないのです。それよりも、キノコはとても美味しいけれど毒キノコもある。だからとても良い面と危険性がある、それを兼ね備えているところを象徴しています。それと、私は田舎をよく知っているんですが、フランスではキノコ狩りのときはもうみんな色めきたつんですよ。キノコの奪い合いや、テリトリー争いで銃が出てきて血まみれの事件になることもあって、そうした私がよく知っている南仏の文化を取り入れた感じです。
――もう一つ気になる食べ物は画面には出てこないんですけど、パンなんです。主人公を失業中のパン職人にしたのは、何か理由があるんでしょうか? パンはカトリックでは重要な食べ物ですよね。(※キリストの身体と見なされたパンをそれを分かち合うのがキリスト教のミサ)
パン職人はとてもノーブルな気高い職業だと私はいつも思っているんです。だからあまり深く考えずに、田舎の村にとって大切な職業というところで、パン職人が思い浮かびました。ただ、私は作品の中で、いつも典型的、原型的な人物を登場させることが好きで、それが神父だったり、村の生活に欠かせないパン職人だったりするということですね。ほかの職業でもいいんですが、何か原型のような人達を入れるところがあります。また、私は地元で育った村でもとてもブーランジェリーが好きでした。とても素晴らしい職業だと思います。残念ながら現在は地元の村でもブーランジェリーが減っていますが、とても尊敬している職業なんです。でもおっしゃるように、カトリックの文化の中ではパンは非常に重要な食べ物で重要なシンボルですので、その解釈に関して否定はしませんよ。
――ネットの世界もリアルな世界も、いまは世界中に食べ物についてのコンテンツが溢れていて、フードポルノと言われるようなドラマも大人気で、一方、もちろんポルノ的なコンテンツもものすごく多いです。かつて監督は「セックスをポルノから解放したい」とおっしゃっていたとのことですが、なぜ私たちの欲望を刺激し続けるポルノや食べ物を扱うフードポルノというものが、こんなにもどんどん増えていくのでしょうか。監督はどのように考えていらっしゃいますか。
性欲と食欲には、すごく似ているところがあると思います。それはやっぱりそれを満たすことでうれしさがある、快感があるということなんです。食べることの快感とセックスすることの快感。それと同時に必要性がある。人間はそれを必要としていると思います。禁欲的な生活を送ることも可能ですが、セックスすることも、とっても重要な人生の一部だと私自身は考えているんです。ですから、自分がそれを享受する権利があるのなら、なぜその欲望を満たすことを拒否するんだろうかっていうのが私の考えですね。食に関してはガストロノミーだけでなく、拒食症や食べすぎの問題もあって、人間は食べることに関して何か問題を抱えているような気もしますが。
――私は『ノーバディーズ・ヒーロー』にとても共感したので享受する権利があることももちろんよくわかるのですが、一方でインターネットなどを見ていると、妙に煽られるというか、駆り立てられるように感じてしまうんです。それで、この風潮について監督に伺いたいと思ったんです。
そういうことでしたか。そういう風潮については、人間の本当に小さな欲望もお金にしようというビジネスの観点が大きく働いている、ビジネスが人間の欲望をすべて回収しようとしているのだと思います。ポルノグラフィについても、なかにはお金のためだけに制作しているのではなく人間の親密さを表そうとしたりアーティスティックなポルノグラフィを作りたいというまっとうな考えを持った作品がないわけではないんです。でもポルノグラフィでもやっぱりビジネスが働いて、人間の欲望を見つけて経済的に回収しようとしていますね。それと、パフォーマンスという概念がポルノグラフィでは非常に重要で、男性性の優位性――何回セックスができるかとか、何回立たせられるか、何時間続けられるかを示そうとします。女性も男性の幻想に合致するような女性であれるかとか、そういうふうに個人がパフォーマンスしていて、それがポルノグラフィーに現れているんじゃないかと思います。
――監督の映画を見ていてすごく安心感を感じる時があって、その理由がいまのお答えでよくわかりました。
それは良かったです。ありがとう(日本語で)。
――ありがとうございました。
『ミゼリコルディア』
失業中のパン職人のジェレミーは師匠の葬儀のため地元に戻ってくる。すぐ帰るつもりだったがずるずると未亡人の家に泊まり続けてしまい、旧友でもあった息子の怒りを買って――年齢・性別・職業などあらゆる先入観をひっくり返す快作。カイエ・デュ・シネマベストテン第1位。
出演:フェリックス・キシル、カトリーヌ・フロ、ジャック・ドゥヴレイ(2024/フランス/103分)
© 2024 CG Cinéma / Scala Films / Arte France Cinéma / Andergraun Films / Rosa Filmes
『ノーバディーズ・ヒーロー』
メデリックは娼婦のイサドラに恋し、イサドラも彼の好意を受け入れるが、いつもいいところでイサドラの夫が現れる。一方、テロが起こって人種差別感情が広がる中、メデリックは行きがかりでアフリカ系青年セリムを助けることになり…。大らかな笑いに満ちた傑作コメディ。
出演:ジャン=シャルル・クリシェ、ノエミ・ルボフスキー、リエス・カドリ(2022/フランス/100分)
© 2021 CG CINÉMA / ARTE FRANCE CINÉMA / AUVERGNE-RHÔNE-ALPES CINÉMA / UMÉDIA
『湖の見知らぬ男』
バカンスシーズン、湖畔のハッテン場に集まるゲイたち。ミシェルはフランクと出会うが、彼にはすでに相手がいた。ある日、湖で若い男が殺され――ストーリー、設定、映像、すべてが驚異的なサスペンス。2013年カンヌ国際映画祭ある視点部門監督賞、クィア・パルム賞、カイエ・デュ・シネマベストテン第1位。
出演:ピエール・ドゥラドンシャン、クリストフ・パウ(2013/フランス/97分)
©️ 2013 Les Films du WorsoArte / France Cinéma / M141 Productions / Films de Force Majeure3作品とも、3月22日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国劇場順次公開
配給:サニーフィルム
- Film Writer
遠藤 京子 / Kyoko Endo
東京都出身。映画ライター。『EYESCREAM』『RiCE』に寄稿、ガールフイナムにてGIRLS' CINEMA CLUBを連載中
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