新説! 東京ラーメン
第1回 東京ラーメンってどんなラーメンを思い浮かべますか?
様々な指標はあるだろうが、東京が世界でも有数の美食都市であることに異論を挟む人は少ないだろう。和食は当然として、世界各国の料理も色とりどりと揃え、また、それらを取り込み、発展させるパワーに関してだけいえば、世界でも群を抜いて強い都市なのではないか。
その東京において、日常的に庶民が愛する料理とは、ソウルフードとは何か。
世界の人々は当然そこにも関心があるだろう。その日の気分で手軽に世界各国の料理をチョイスできるのに、心を掴んで離さない料理とはなんだろうと。
料理別で考えれば、そのひとつがラーメンであることは言うまでもない。なによりラーメンはすでに日本から飛び出し、世界を魅了しつつあり、東京に来たら本場のラーメンを食べたい、知りたいと思うグルマンも多いはずである。
だからこそ、ラーメン発祥の都市、また、ラーメンの発信基地の中心、東京の土着のラーメンとはどんなものなのかを整理しておきたい。改めて考えておきたい。今回の連載はそういう趣旨である。
ラーメン博物館の資料
そもそも、何故ラーメンが国民食と呼ばれるまでに至ったのか。
これに関しては、多くの人が様々な観点で語っているが、今回は東京ラーメンを考える上で2つの視点に絞って考えてみたい。
ひとつめは大衆食に求められる柔軟性を備えていた点。
とある料理がガラパコス化せず、大衆食に至るとき、多くの場合、その地域(の味覚や気候風土)に合わせて変容していくことが求められるが、ラーメンは見事にそれに応えてきた歴史がある。それにプラスして、様々な料理ジャンルも取り込んでモンスターのように多様化してきた。それを柔軟性があるというべきか、節操もないというかは人それぞれだろうが、それだけ身近にあったものであることは間違いない。もはや日本の国内でさえ、「ラーメンかくあるべし!」という議論は人の数だけある状態になった。料理を通したお国自慢がラーメンにおいては、どの地域の人でも可能になるのだ。
「オレにとってのラーメンは○○だ!」
「いや、そんなのラーメンじゃない。○○出身の私は○○こそがラーメンだと思う」
「いや、そんなの枝葉の話だ。歴史的にみて、○○こそ本流だ」
というやつで、これは魅力である。
正解のない楽しい議論は、人生を豊かにする。
もうひとつは、年代のレイヤーである。
誰もが、自分が多感で精力的だった時代の文化には思い入れがある。ラーメンが誕生してから100年以上が経ち、流行り廃りを繰り返しながら、食べた人に時代背景を伴って思い出のラーメンを深く印象付ける。その積み重ねで価値観は多層化した。あぁ、あの頃に食べたラーメンが忘れられない!という。
そして、それが青春時代の美化と新しいものへの抵抗感、頑なに自分のアイドルを盲目的に愛し、排他的になる者もあれば、逆に、それを覆すくらいの新しい魅力に溢れたラーメンの登場や、ふとしたきっかけによって価値観がアップデートされたりすることで、若いときのような意欲を取り戻すこともあるだろう。そのいずれもが正しい姿だ。
銀座に出ていたラーメン屋台(生駒軒の社史から)
この地域性や多様化を横軸として、世代間や多層化を縦軸としてみて、(考え方自体は新しいものではないが)ラーメンを整理するように、それを東京ラーメンに落とし込んでみよう。
とここまで読むと、なんだ、昔ながらの東京醤油ラーメンのことね。あの細縮れ麺でナルトとチャーシューが乗ったやつね。と思う方がほとんどだろう。
もちろん、それも間違ってはいない。ある一定の年代の若い頃のラーメン原体験はそういうものであることが多いからだ。
ただ、東京生活の中で、もっと潜在的に忘れられない東京の土着ラーメンは果たして他にないだろうか。
もしくは、昔ながらのラーメン、って一括りにしてしまって良いだろうか。
世界一の美食都市の伝統的なソウルフードについて世界の人に尋ねられたときに、なんとなくよく分かってないけどたぶん昔ながらの〜な感じのものを答えればいいんだよなぁ、と勝手に忖度していないだろうか。
「今はそういうラーメンは食べられなくなったんだよ」と寂しそうに答えるだけで良いのだろうか。
べき論を超えた、そうであってほしいという勝手な願望ではなく、東京ラーメンの実像を知っておくことは、東京という都市に関わるグルマンの責務…というほどはないが、それくらいは世界の人々に伝えてあげたい。
人形町大勝軒の昔のメニュー
人形町大勝軒閉店後、銀座に開業した日本橋よし町のラーメン(※現在閉業)
ただ、音楽の名盤と違って、過去の名作は今食べられないものも多い。食という消え物の宿命だが、より庶民の文化となると一代限りの場合もあり、名店や超重要店が食べられないのは残念でならない。ただ、あぁ、なるほど、でも、そうだよね、古いものは今食べられないよね、となり、興味を失ってしまってはつまらない。だから、今後の各論に関しては、できるだけ現在でも食べられるお店との繋がりや流れを意識していきたい。新しい店は逆にルーツを考え、点を線で結びたい。何故なら、この東京ラーメン再考の目的はお勉強をすることではなく、実際に食べに行って感じてもらうことにあるのだから。
ラーメン博物館に出店している浅草來々軒を再現したラーメン
来集軒(八広 ※現在閉店)で開店時の贈られたという鑑。
浅草合羽橋本店という文字が貴重
それではまず、縦軸から考えてみよう。日本ラーメン史はイコール東京のラーメンである。その始まりは、浅草にあった[來々軒]が開店した1910年くらいの時期に誕生して、盛り上がったと言われている。そこから時系列で考えると終戦までの間、つまり、戦前の東京ラーメンはどうだったのか。それが第一章である。
- Ramen Archiver
渡邊 貴詞 / Takashi Watanabe
IT、DXコンサルティングを生業にする会社員ながら新旧のラーメンだけでなく外食全般を食べ歩く。note「ラーカイブ」主宰。食べ歩きの信条は「何を食べるかよりもどう食べるか」
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