新説! 東京ラーメン

第5回 昼の東京ラーメン(見直される杉並中華そば)


Takashi WatanabeTakashi Watanabe  / Dec 12, 2024

前回は夜の東京ラーメンを探った。

一方昼はどうだったのか。

昼のキーワードは魚介スープである。

戦後のシンプルなラーメンをベースに魚介の香るスープ。これが東京に連綿と続いているラーメン文化だ。もちろん、地方にも(特に沿岸部)魚介材料を用いたラーメンはたくさんある。だが、東京発の魚介ブレンドのラーメンはこのあと大きく飛躍する。

その系譜を挙げてみよう。

①丸長、大勝軒グループや春木屋などの荻窪ラーメン(荻窪)
②永福町大勝軒系(永福町)
③たんたん亭系(浜田山)

これらの店はいずれも大きく枝分かれし、また多くの店に影響を与えてきた。それぞれに個性があり、味を一括りにするのは単純すぎるが、魚介の風味を印象的に効かせ、油で香りと重厚感を出した味、とまとめることができる。そして、これらの店の所在地にちなんで『杉並中華そば』と呼ぶことにする。これは荻窪ラーメンの枠を超えた、東京ラーメンとしての枠組みである。

この杉並中華そばは、東京発で東京らしく、多くの人々に愛され、情報がメディアやネットにより民主化されると全国へと広がっていった。古くから愛されてきた味の系譜でありながら、現代最先端の店々にも直接的な影響を与えており、新しい東京ラーメンとして再考されるべき存在だ。

では、その3系統を創業順にそれぞれ追ってみよう。

丸長グループ(1947年~)からは、[丸信]、[栄龍軒]、[中野大勝軒]などが誕生し、さらに中野からは[東池袋大勝軒]が独立し、つけ麺を生み出したことで知られている。このグループは自家製麺と魚介出汁を味の信条としているとハッキリ謳っている。

惜しくも閉店した[丸長総本店](荻窪)。削りたての鰹節の香りが印象的

創業者が長野県(山ノ内町)出身であり、蕎麦文化の影響が色濃く反映され、後のつけ麺誕生にもその影響が見られる。最盛期と比べて店舗数は減少したものの、[大勝軒]は健在であり、近年では閉店した本家・荻窪丸長の味を受け継ごうとする店も出現している。ちなみに東京ラーメンとしてよく名の挙がる[春木屋]も出身は長野県である。

さらに[大勝軒]の味に魅了されたファンの中に、修行経験の有無にかかわらず、その味を継ぐ店として開店する者が現れる。90年代後半から2000年代中期にかけて、つけ麺ブームの火付け役となった。代表的な店として、[べんてん](高田馬場成増)とその弟子の[としおか](早稲田)や[永太](蕨)、創業40周年を迎えた[道頓堀]、現代つけ麺の旗手[とみ田](松戸)などが挙げられる。

影響を受けた店は多い。
若い店主がそれを継承し、若いファンがそれを支持する[としおか](早稲田)

また、つけ麺も東京から全国へ広がった東京ラーメン文化の一つである。つけ麺は「食べ方の提案」ではあるが、その味は杉並中華そばの本質を継承している。江戸前のせいろ蕎麦文化と東京のつけ麺を結びつければ、東京独自の食文化として捉えることもできるだろう。

[中野大勝軒]のつけ麺。まかないメニューからつけ麺は生まれた

もうひとつの[大勝軒]は永福町。1955年に誕生し、後に永福町系と呼ばれるようになる系統の本家である。永福町系は煮干しを中心した魚介を強く効かせ、そこに高級ラードで蓋をし、更に香りを添加させた。かなり特徴的で強い味わいながら、同時に郷愁を感じさせるような懐かしい温もりも併せ持ったことで普遍化したといえる。誰もが好きな味だ。年代を問わずファンを作り、いまだに交差点の角に大行列を作る。

その[永福町大勝軒]が、画期的だったのは味だけではない。現代にも通ずる正しい経営学な要素を兼ね備えていた。

・材料は大量に
・その分の「適正利益」を確保する価格設定
・出入りの商人を大切にすること

かのピーター・ドラッカーは、事業の目的は顧客の創造だと問いた。商売をする姿勢は常に真摯さ=ハートが大切で、新しい顧客(世代)にもより良いサービスを提供し続けること。顧客の定義は、単なる食べるお客さんではなく、すべてのステークホルダーが顧客であり、そこを大切にすることこそ商売を長く継続させる秘訣であると断言した。

[永福町大勝軒]の中華麺。洗面器のような大きな丼にたっぷりの内容量

標準で2玉入った中華麺のボリュームと材料が大量に入ったリッチなテイスト。常に新鮮さを更新し、同時に懐かしい。すべてのラーメン好きの理想に応え続け、取引先に利益をもたらし、大切にする。それに見合った価格は最後の位置付けで、まずは誠実な仕事こと大切であると[永福町大勝軒]は示してきた。このインフレ時代に多くの店が直面する価格設定に関するひとつの答えでもあるように組織面、経営面でも模範的な店であり続けた偉大なお店だ。

最後に、たんたん亭系について。[たんたん亭]は1977年高井戸で創業。その後浜田山に移転した。魚介スープの効いたスープに肉餡たっぷりのワンタンというスタイルがウケ、いまだに人気店だが、この系統の影響力はその後の弟子たちによって、大きく広げられた。先輩の2系統を追いかけ、杉並中華そばのスタイルを現代に結びつける役割を果たす。

中興の祖、[かづ屋](不動前)によって、この枝葉は大いに広がった。そして、その勢いはこの2024年も止まらず、新規開業をする店がどんどん誕生している。新東京ラーメンの代名詞といって差し支えないだろうと思う。

東京ラーメンの伝統と最先端の美味しさの結晶、[かづ屋]

[丸長]、[大勝軒]が蕎麦の文化を通して、東京に親和性のある味を生み、やがてつけ麺と繋がる。永福町の大勝軒は使う材料を圧倒的に増やし、味をリッチにし、経営面でも模範的な役割を果たす。そして、たんたん亭系は、それらを踏襲しつつ汎用型に落とし込み、現代の東京ラーメンの旗手となった。マニアを納得させ、一般に愛され続け、東京全域に広がりを見せる。バラバラと乱立していたように感じるこれらの大系統はすべて杉並区から発展していったのだ。

日本蕎麦のような親しみやすさに動物系スープのコクや重厚感を加えた味を感じたとき、あ、これが東京ラーメンなのか。昔から好きな味だったじゃないか!と思って感じてもらえれば幸いだ。そして、これらのお店は昼営業のみところが多い。まさに昼の東京ラーメンである。

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