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風来坊な食いしん坊
005 ふたたび海のない街へ
蔵人生活3ヶ月のあいだ、僕は蔵の中にある一部屋を寝場所としていた。起きて扉を開ければ、すぐそこは酒造りの現場である。Door to Door どころか、ドアひとつ開ければ職場だ。このような環境下で生活する経験はなかなか得られることではない。そんな事を思った初日であったが、蔵人生活は一瞬で過ぎ去っていった。
大石酒造外観
この文章を今は別の土地で書いている。
鹿児島を後にした翌日、ユネスコが日本の伝統的な酒造りを無形文化遺産に登録すると決めたとのニュースを目にした。
2013年には、世界からも評価の高い和食が登録されている。伝統的な酒造りも和食も、その礎となったのは紛れもなく麹の存在だと思う。日本酒や焼酎、そして味噌、醤油、漬物、その他にも多くの発酵調味料を生み出してきた。日本特有の気候の変化と風土、それらと共存して今日まで受け継がれている。日本の食文化は季節の移ろいや気候の循環から汲み取って育まれてきた。まさに自然と日本人との関係性を具現化してきたものなんじゃないかなと思っている。
焼酎造りはまず麹を作るところから始まる。多くの焼酎蔵は米麹を用いるために、麹菌を蒸米に付着させ米麹を作る。かつてそれを見た日本人は、米に麹菌であるコウジカビが花を咲かすように生える様子を“糀”と記した。先人たちの美意識や知恵、風土観は言葉が目じるしとなって残っている。あいまいな時代を生きる僕らは、今一度近くにある目じるしを見つめ直すことから、そうした美意識へのヒントが得られるのかもしれない。
米麹
芋焼酎という液体はいたってシンプルだ。原料となるさつまいもに米麹、酵母、そして水。これらの相互関係によって発酵が促されてアルコールが発生する。ビールもワインも日本酒も製造過程で原材料が異なるだけであって根本的な部分は同じだ。
僕らは、これらが正常に働くように環境整備をする役割を担っている。原料が育つ環境と発酵が行われる蔵、酒造りに携わる人が芋焼酎の個性と複雑さを生み出していく。毎日その動きを観察し、一定時間が経つと蒸留日を迎える。いよいよ芋焼酎が出来上がる。蒸留後、新酒としてすぐに瓶詰めされるものもあれば、何ヶ月、何年と寝かせるものもある。そうして層を重ね、また味わいに個性が増してくる。
今回経験した蔵人生活では、蔵内の仕事を中心として瓶詰めや発送作業、芋切りから、畑へ出向いて芋掘りもさせていただいた。焼酎を瓶に詰め、段ボールに並べ入れて発送する頃には我が子を見送るような気持ちになった。実際子どもはおりませんが。
阿久根の街で大石酒造の焼酎を飲む時は特別な気持ちでいっぱいだった。阿久根を離れてから飲んだ時には、その何倍にもそういった気持ちになってしまう。
蒸留機
12月に入って少し経った頃、出発の朝を迎えた。
本当に阿久根を去るのかと自分を疑ってしまうほどに何も変わらぬ気持ちの朝だった。前日の最後の晩は、大石宅にて友人が用意してくれた刺し盛りをみんなで食べた。シードルで乾杯し、焼酎を少しばかり楽しんだ。そしていよいよ出発の時間だ。3ヶ月ほどお世話になった部屋とトイレを掃除し別れを告げた。東京からの相棒である軽のタントに荷物を積み、お別れの時間がやってきた。大石酒造の方々が作業の手を止めて駐車場まで見送りにきてくれた。車に乗り込みエンジンをかけた。だが気持ちはまだ近くのスーパーに買い物にいく時と変わらない。窓を開け、みんなに手を振った。ようやく出発した。手を振るみんなの姿が見えなくなった頃、急に阿久根生活の思い出が頭の中にやってきた。お世話になったみんなへの感謝の気持ちと寂しさが溢れた。途中のサービスエリアで芋切り仲間のおばあちゃんが今朝持たせてくれたおむすび2個と卵焼きを頬張った。時間が経っていて冷めていたはずだけど、そんなの気にならないくらい温かい気持ちになった。危うくジブリの千尋のおむすびを頬張るシーンと同じようになるところだった。食後に社長奥様お手製の麹甘酒で心を落ち着かせた。
友人の用意してくれた刺し盛り
帰りにもたせてくれたおむすび
極寒の車中泊をしたり、温かいゲストハウスに泊まったりしながら数日かけて車を走らせ、埼玉県に到着した。生まれ育った土地だ。
僕は今、埼玉県寄居町で暮らしている。かつて江戸と秩父を繋ぐ宿場町、城下町として栄えた街だ。みかん栽培に400年を超える歴史があり、現在も特産品となっている。北条氏が小田原から寄居町風布地区に持ち込んだことをきっかけに現在まで受け継がれている。その風布の景色と豊かな自然には魅力が沢山ある。
みかん畑からの見晴らし
僕らのみかん
隣町は有機農業の里と知られる小川町。学生の時から色んなご縁があり、時折訪れていた。その街を拠点とする“KIKI WINE CLUB”としても活動している。都内にいた頃にも共に産地へ訪れたり、イベント出店の手伝いなどと時々関わっていた。
春に東京を離れて、いま埼玉の地で寒い時季を越そうとしている。ペーパードライバーで始まった車旅も、暑い暑い農作業も、水でびしょびしょの蔵人生活もあっという間に過ぎていった。因島も阿久根も輝かしい思い出だけじゃない。まとまった時間を過ごしたからこそ見えてきたことも沢山ある。苦い思い出も何年、何十年という単位で見た時には、きっと良い経験をしたと思うことができているはずだ。
多くを学び、肌で触れ、頭で考えた。思うことは結局は自分自身の世界の見方と、一つのアクションを起こすことなんだと。
食のあり方を探しに出かけ、自然や農、発酵の世界を求めて代々木上原のカフェを離れた。
僕は、人を起点として“美味しい”を探し続けていることに気が付いた。
出会ったみなさん、ありがとう。
1999年、埼玉県出身。大学在学中に旅や生産者巡りをはじめる。同時に代々木上原カフェ[BOLT]の立ち上げに参画。その後、マネージャーを務めたのち、現在は東京を離れ、訪れたことのある土地の生産者の元で生活を送っている。
IG @michael_seita
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