サブカル酒 Sub-Cul-Shu

003「いい焼酎ってどんな酒ですか?」


Shion KakizakiShion Kakizaki  / Mar 2, 2025

先日、目黒のレストランの2階で、奄美の黒糖焼酎龍宮を造るMくんを囲む会があった。わたしは仕事があって夜だいぶ遅くなってからの参加となったのだが、現場につくと見慣れた同業ズがまだまだ黒糖焼酎を楽しんでいた。わたしも早速カウンターの端っこに座り、現行の龍宮を飲む。初めて奄美に行った2008年の3月、絶対外せないと訪問したのがこの蔵だった(そのときはMくんの父上の代だった)。それからずっと飲んでいる。別に偏愛しているわけではないが、あれば必ず飲む。かつてはてっぺんまで開墾され高度利用されていた、名瀬の後背地の山の空気を感じるので。

見慣れた顔ぶれの中に、いつもお世話になっている酒屋DS氏がいた。彼が私の隣に来たので一緒に飲んだ。やおら彼が口を開いた。

「シオンさん、シオンさんのいういい焼酎ってどんな酒ですか? 日本酒については、一緒にテイスティングしていると僕の感覚とシオンさんの言語化がリンクして理解できるのだけど、焼酎については全然で」

その質問を聞いていた数人がわたしの答えを待っているのを感じつつ、とりあえずああ、とてもいい質問ですね…と口ごもった(実は本人も分からないんだよ)。そして、「原料の味わいではなく、そこの場所の全体性を上手に液体に転写した焼酎」と答えたように思う。日本酒のテイスティングの時より具体性に欠けるのは承知している。すみません。

わたしがサブカル酒を探すときに大切にしている考え方の一つに、『もろみは写真フィルムである』というのがある。もろみがその風土に露出されることで感光しネガができる。それをプレスするなり蒸留するなりして『現像』したものが酒である、という概念だ。もろみに何を感光させるのかということが大切で、わたしは風土の全体をなるべく余すところなく映してあるもの(表現上、それらの濃淡や強弱は造り手が調整するという大前提はある)に、ある種のサブカル酒性を見出す。

近代酒造技術とは『自分たちが見たい/見せたい風景』を映すための技術体系であり、わたしはそのカウンターウェイトを探しているわけだ。近代酒造技術は、分かりやすく言えば高い再現性、高い安全性、市場の要望といったものを重視している。一方でその土壌、その大気、その原料、その水、その造る人等々、移ろいやすい生々しさ(ピュアネスと呼んでもいい)をありありと表現することは、マーケティング上の方便以外で称揚されることはまずない(これは何も、わたしが技術的に未熟なオフフレーバーてんこ盛りの酒を高く評価する、ということではないので注意されたい)。

ただ、どちらがいいとか悪いとかではないことはここで主張しておきたい。業界的には両方とも必要で、今は片方にばかりみんなが肩入れする悪影響が顕在化してきているとわたしが感じていて、身をもって微力ながらバランサーになろうとしている、という話だ。

池澤夏樹はかつてこう書いた。「ある文化が生み出したものを製作の順に見てゆくと、最初は稚拙ながら力があり、やがて技術と意思が一致する素晴らしい瞬間が訪れ、やがて技術ばかりになって魂が抜ける。意思を入れる器としての形だったはずなのに、どこかで形が主役になってしまう。その果てに現代がある」。至言だ。だからわたしは今、自分のフィールドである酒の世界でサブカル酒を探し歩いている。一度でも技術を体系的に学んだら、永遠に失われてしまうような表現を。

黒糖焼酎でもかつてそういう酒はあった。わたしの手元にもほんの少しだが残っている。どこの酒かは言えない。どこの酒でもないからだ(笑)。奄美大島某所の種取り田んぼ(この田んぼは10年ほど前に消滅した)で、無肥料無農薬で育てられたコメを自家精米し、自然麹で製麹し、野生酵母で発酵させ、薪火の地釜蒸留器で蒸留したもの。当然もう手に入らないし、造ることもできない。造った人を知ってはいるけれど。どんな味ですかって? 強烈にピュアでホリスティックです。

正直、手に入れた当時は「誰も持っていないワイルドでレアな酒を入手したぞ」くらいのちっちゃい優越感しか抱いていなかったのだが、これが文化人類学的にとんでもない価値を持った酒精であることに気づいたのは、数年後にバタヴィアン・アラックの佳品を入手してからだ。それはオランダの著名ウィスキーボトラー、ヴァン・ダイクがボトリングしたもの。辺境酒の勉強のためにと買ったのだが、地元のチークバレル(オークではなく)で熟成されたという1990年ボトリングの褐色の酒精は、飲んでみたら文字通り眼前に風土が立ち現れるような黒糖焼酎だったのだ。それも極度に『技術と意思が一致した』前近代のそれ。すぐに詳しく調べたら、これは地元の黒糖と赤米麹(おそらく餅麹だろう)で造られていて、蒸留は伝統的な粘土製地釜蒸留器(同じタイプの蒸留器が、沖縄北部の離島の民家に一基残されている)によるものだという。

先の奄美ムーンシャインとこのアラックは、本質的に同じ味がする。はるか昔に中国南部から海のシルクロードを通じてアジア各地に、そして琉球弧にも伝わったカビによって糖化した穀物を使う蒸留酒の文化が、生きた状態(つまり飲める状態ね)で現代の奄美とインドネシアで見つかったというわけだ(琉球弧の偉大な酒である泡盛というジャンルとその起源については、通説と異なる点も含め改めて書く)。遺物や標本を見たり調べたりするだけでなく、生きている化石のような酒を味わうことで、その風土的、技術的な連続性を感じることができるというのは、サブカル酒飲みにだけ許された至福体験である。飲まずには分からない、そして現代の安全安心な酒精だけ飲んでいる人々には分からないアカデミックな酒世界。

急いでこのアラックを買い足そうとしたが時すでに遅し。すでに市場から姿を消していた。聞けば日本に輸入されたのは36本だったとか。その後二次流通市場から1本調達できたが、昨今はたまにオークションに出てもありえない価格で落札されていてとても手が出ない。だったら造ればいいのだが、造れる場所がないのよね(誰か一緒にやりましょう)。あるいはインドネシアに同じような酒を探しに行くか。ただヴァン・ダイクだけでなく他のボトラーからもその後同様の酒精が出てこないところをみると、よほど素晴らしく再現性のない酒精だったのだろう。普通に買えるアラックは残念な味しかしない(そして奄美のムーンシャインもこのボトルの以外は全然心躍らない)。

酒屋DS氏には、いつかこのアラックを飲んでもらいたいと思う。きっと、わたしの言う『いい焼酎』についてノンバーバルに分かり合えるはず。でも奄美のアノニマスな白物はいろんな意味で飲んではもらえなさそうだ。彼は酒販の人だしね。

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