足湯に浸かってリモートワークも
自然と食を堪能する、板室温泉トリップ。(前編)
多様な働き方が受け入れられる時代になりつつある今、いつもの場所から離れて仕事をするのもなかなかいいものです。特別な場所、たとえば露天風呂に浸かって都会の絵具を適度に落とし、地域固有の食文化を味わいつつ、仕事もしっかり進められたら…。よく遊び、よく食べ、きちんと働く。少し欲張りなフーディーたちに必見の、ワーケーションプランをご紹介します。
向かったのは栃木県・板室温泉、1000年以上の歴史を持つ湯治場です。ゆったりとした時間を過ごして、元来生活している土地で過ごすための活力を取り戻す。より高く飛ぶために、羽休めするところとして長年愛されてきました。観光地的な派手さはないかもしれませんが、美しい山間の景色を味わいつつ、静謐なひとときを過ごすことができる希少な場所なのです。
旅の拠点になるのは、板室温泉にある[湯宿きくや]。もともとは約20部屋ほどある中型の旅館として、団体客も含めたくさんの人々を迎え入れていましたが、昨年移転リニューアル。一日三組のお客さまに限定し、きめ細やかなサービスを提供しています。 建具の木の匂いもフレッシュで、すっきりした空気が気持ちいい宿に早速チェックインしましょう。おもてなしに、と出してくれたのは、クロモジという香木のお茶でした。
旅をしていることを実感する、粋なおもてなしの数々
クロモジとはクスノキ科の落葉低木。和菓子用の高級楊枝の原料として知られ、その香り高さゆえ精油として使われることもあります。緑茶とも紅茶とも異なるどこかエキゾチックな芳香は、習慣的にお茶を飲む人でも新鮮な感覚を抱くはず。普段と違う場所に来たことを意識させられ、なんだか旅の気分も高まります。 そんな粋なおもてなしで迎えてくれたのは若女将の加藤玲奈さん。湯治宿ゆえ、和装でビシッと決めて、深々と頭を下げるような接客ではありません。仰々しさもなく親しみやすい。笑顔が魅力的な彼女はもともと[きくや]の三女として生まれ育ち、都内の大学に進学、都内で就職したのち昨年Uターンして戻ってきたそう。
▲ [きくや]の加藤玲奈さん。クロモジは定期的に自ら収穫にいくといいます
リニューアルに際しては、加藤さんの東京での生活や、異国を旅した経験などが宿の細部にまで落とし込まれており、クロモジ茶のおもてなしもそのひとつです。 「モロッコを旅したとき、リアドと呼ばれる邸宅を模したコンパクトな宿泊施設に宿泊する機会がありました。そこでは必ずモロッコミントティーで迎えてくれるんですが、とても気持ちが良くて私も真似したいなと」
リモートワークにも最適な、寛ぎの空間
加藤さんに宿の中を案内してもらうと、彼女の美意識でセレクトされた家具が随所に配されていました。「東京でも休みの日には蚤の市を回ったり、西洋民藝で知られる外苑前の[グランピエ]などに遊びに行くのが大好きでした」特定の国に絞ることなく選ばれた様々な出自のものたちは、主張の強いものもありますが、絶妙なバランスで調和しているのです。 「東京生活の中で、なんだか疲れた時や気分が落ち込んだ時には、一輪でもいいからお花を買って、お気に入りの花瓶に添えるようにしていたんです」宿に入って心から休まるような気持ちがしたのは、加藤さん自身の体験からフィードバックされた優しさが反映された空間だからかもしれません。
▲ 洗面台のアメニティには、微妙に大きさが異なる2つの吹きグラスが。手に取るときに間違えない一工夫が嬉しい。さりげない心配りが各所に
各部屋には大きな窓があり、必ず緑が見えるようになっているのもポイントです。自然からインスピレーションを受けますし、ハイペースで仕事を続けていく際に、少し目線を自然に移せば気持ちの切り替えになるはず。
▲ 湯温が40度前後とそこまで熱くなく、長時間浸かってものぼせにくい。ひとつの部屋ごとに、プライベートな半露天風呂があるので、いつ温泉に入ってもOK
▲ ラウンジには足湯もあるので、膝の上にPCを載せつつ浸かるのもいいかも
温かみのある木材を基調とした部屋なのも、心が落ち着く理由のひとつでしょうか。全室にWi-Fiも完備、長時間座っても疲れにくい椅子も用意されているので、丸一日仕事をするにもベストな環境が整っています。
▲ アメニティのコーヒーが三軒茶屋のスペシャルティコーヒーの専門店である[OBSCURA COFFEE ROASTERS]というセレクトも嬉しいところ。気合を入れたい時のスイッチとして飲むのもいいかも。カフェインレスのデカフェタイプもあるので、妊婦さんや夜中にコーヒーが飲みたくなった方にもおすすめ
▲ 共有スペース内には数冊の本が置かれています。洗練されたビジュアルのレシピ本をはじめ、加藤さんの生活への美意識がうかがえるセレクト
飾らない等身大の料理で、板室という風土を味わう。
家具だけでなく食への好奇心も強いという若女将の加藤さん。 Google Mapには2000件近い飲食店のストックがあると言うから驚きます。「会社員時代は外回りが多かったので、訪ねる場所ごとに美味しいものを食べないと後悔すると思って(笑)。少しクセがあったりディープな場所が好きなんです。たとえば新橋駅前ビルの[ビーフン東]とか」 そんな加藤さんが「食」においてはどんな価値を提供したいか? 改めて聞いてみました。「湯治宿というルーツを辿れば、長期の滞在を前提としているので、基本的には飽きのこない、どこかホっとするお料理をと思っています。つい、お洒落なものを出したくはなるんですけど(笑)、その土地にあるものを使いながら変に背伸びをしないことが大事ですかね」 謙遜気味に話しますが、地のものをふんだんに使用したお料理はどれも絶品。器などもリニューアル前から受け継いで使用しているものと、加藤さんチョイスの食器がうまい塩梅で合わさっており、気持ちを込めてデザインされた食事の時間は、なんといっても[きくや]の魅力の一つなのです。
▲ この日は「柿としめじの白和え」からスタート。フルーツが季節の移ろいを教えてくれます
▲ (写真左上から時計回りに)ゼンマイのナムル、茗荷の酢漬けと水雲、ヤシオマスの薫製、那須の湯葉刺し、鮎の煮こごり、ぶりの照り焼き
▲ 「イワナの姿造り」新鮮なのはもちろん、丁寧な下ごしらえで生臭さは一切なく食感も抜群
▲ 定番というきくやのお煮しめ。野菜ひとつひとつの素材のおいしさが引き立ち、ほんのりとした甘さがやみつきに
▲ 地元のトロかぶを使用したかぶら蒸し。ふわふわとした舌触りと、添えられたレンコンチップスのサクサク感のギャップもたまりません
▲ 那須高原黒毛和牛のすき焼き。割り下にさっとくぐらせ、生卵と絡めていただきます
大満足の夕飯を食べ、満腹になったら屋外で夜空を眺めるのもいいかもしれません。空気のいい場所で星空を見て、落ち着いた心で、その日のうちに対応しなければいけないメールを返す。やることを終わらせてスッキリしたら、たっぷり睡眠をとりましょう。後編では宿からほど近くにある、滞在合間に立ち寄りたいスポットもご紹介していきます。
湯宿きくや
栃木県那須塩原市板室844−7
Tel 0287-69-0303
HP https://kikuya-nasu.com/
宿のご予約:じゃらん/楽天トラベル*ご予約が可能なプランのみ表示されます。満室でご予約いただけないプランは表示されませんので、ご了承ください。
Photography by Rintaro Kanemoto
Text by Shunpei Narita
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