なぜ24年も続いているの!? リーダー・伊東盛さんに訊いてみた
「東京カリ〜番長 大学園祭」第24回イベント参加レポート
8種類の特製カレーやビリヤニに加え、スパイスドリンクなどのスパイス料理、さらには音楽ステージまで、カレーの名の下に集う大人たちによる「東京カリ〜番長 大学園祭」が、三軒茶屋にて開催された。RiCE 第11号「特集 スパイスカレーの深層」で20周年を記念して特別座談会を展開していただいた「東京カリ〜番長」は今年24周年を迎えた。
今回のイベントは「東京カリ〜番長」に加え、カレーやスパイス料理を通して活動するプレイヤーが数多く出店。まずは当日のイベント潜入レポートをお送りしてから、東京カリ〜番長リーダーの伊東盛氏へのインタビューを通し、「東京カリ〜番長の秘密」に迫る。
音楽とカレーを楽しみ尽くすカレープレイヤーの文化祭!
三軒茶屋駅を降りて徒歩3分。今回のイベント会場である[PLAYs]を訪れ、ブースでチケットを購入する。チケット1枚ごとにフードやドリンクと交換できる仕組みで、誰でも気軽に参加できる。
中に入ると、ちょうど学ランを着た番長メンバーと観客が乾杯をするところで、会場は熱気で溢れかえっていた。彼らは毎年のように周年イベントを開催しているのだが、コロナの影響もありここまで大規模なものは久しぶりだという。来場者は100人を超え、模擬店や音楽ステージなど関係者の数も過去最大規模となった。
チケット1枚で番長特製のカレーが8種類食べ放題という大盤振る舞い。どれも美味しかったが、個人的にヒットしたのはリーダー特製のタコとオリーブのカレー。ビビッドな味わいがした
カレーはもちろんガチなのだが、なによりも音楽にガチである。現在メンバーは14人いるが、DJや作曲家、アーティストなど音楽関係のスペシャリストが多い。何を隠そう、リーダーの伊東氏も音楽畑の出身である。
一通りカレーを楽しみスパイスドリンクを嗜んでいると、ステージパフォーマンスが始まった。
まずは又吉直樹原作の映画『火花』にも出演したという「アイハラミホ。」のパワフルなパフォーマンス。お次に、カリ〜番長とは20年以上の付き合いというスキャットヴォーカルグループ「Pecombo(▷FB)」の歌声が響く。トリを飾るのはメンバーの一人である「メロディ主任」こと中塚武さんとサックス奏者の福田整歩さんの演奏だ。リーゼントのかつらと学ランという格好だが、確かな技術力に支えられた迫力のあるステージだった。
模擬店の出店も粒揃いだ。
東京カリ〜番長発起人(すでに脱退している)である水野仁輔さんも所属するパラタユニット「スチャパラター」やビリヤニの出店、連続カレー三兄弟のナン投げ、スパイスドリンク、スパイスどらやきなど多種多様で、お客さんよりも出店者のほうがむしろ多いくらいの熱量だった。
24周年を記念した24種類のスパイス惣菜
スパイスを使用したどら焼き&たい焼き
かぼすしらすビリヤニと二郎系豚骨醤油ビリヤニ
カレー三兄弟によるナン投げのテキ屋
スパイスドリンクでは、カシミールのヌーンチャイなどマニアックメニューも
カレーやスパイスを通して何か面白いことをやってやろうという情熱と好奇心で溢れたプレイヤーの集まる空間だった
「東京カリ〜番長」について、リーダーに訊いてみた
かくも熱量の高い「スパイスプレイヤー」を数多く巻き込むことが可能なのは、東京カリ〜番長たち自身がそういったプレイヤーとして長い間活動してきたからだろう。24年前に水野仁輔さんを中心に始まった「東京カリ〜番長」だが、たびたびメンバーは入れ替わりながらも、スペシャリストを集め現在14名で活動を続けている。
「東京カリ~番長はカレー界における史上最強の素人集団である」とは、誰が言い始めたのかわからない。ただ、日本における「カレー」というものを単なる食べ物だけではなくひとつのカルチャーとして普及させた貢献者であることは確かだ
東京カリ〜番長とはそもそも何を目指している集団なのか。
24周年も活動が長く続いている秘訣は何なのか。“リーダー”である伊東盛氏へのインタビューを通し、その秘密を探ってみた。
リーダー(▷IG)は目黒で間借りカレー店「M響CURRY」(▷FB)を7年続けている
東京カリ〜番長の始まり
——そもそも「東京カリ〜番長」の活動はどうやって始まったのですか。
もともと最初に水野と出会ったのは俺がレコード会社で働いていた時代。はじめはボンジュール(※お祭り主任)がやっていたカレーの展覧会で知り合って、そのあとどこかのホームパーティでカレーを作っている水野に遭遇したんだよね。俺は当時御茶ノ水の大学に通ってたから365日ずっとカレーを食べていて、ファンファーレで祝われたりするくらいにはカレー好きっていう自負があったからすぐに仲良くなった。そこからメンバーに加わって、初めの数年は水野、おしょう(※炊飯主任)、シンゴ(※DJ主任)、俺の4人の初期メンバーで活動していたんだよね。ライブハウスやイベントに出没してはあちこちでカレーを提供してたね。当時は夜遊びが盛んな時代だったということもあって、23時スタートなんてこともあった。一ヶ月ごと都内23区すべての公園でカレーをつくるというイベントもやって、昼は公園、夜はクラブというダブルヘッダーになるときもあった。
——それはしんどそうですね(笑)。
すごくしんどかったんだけど結局面白いし、何よりもこちらからもカレーを積極的に面白がってやろうっていう姿勢があったんじゃないかな。「誰もやったことないことをやりたい」というスタンスは最初からあって、カレーのライブクッキングばかりやっていた。カレーに限らずだけど、食べ物を一つのツールとして場に存在させようという発想、そういうライブ感のあるものとして存在させるという発想自体が当時の世の中には全くなかったんだよね。
——「カルチャーやサブカルチャーとしてのカレー」という捉えかたはここ最近かなり定着してきたと思います。
「東京カリ〜番長」は、音楽とカレーを結びつけて「カルチャー」としてのカレー活動を始めた最初のグループだと思うよ。今でこそ食べ物をコンテンツにしたイベントは珍しくなくなったけど、「東京カリ〜番長」が結成されたころなんかは、場に食べ物を組みこんだイベントはほとんどなくて、理解者も少なかったと思う。
たまにタレコミがあるんだけど、俺たちを題材にした漫画なんかも地味にあるんだよね。「今日はカレーの出張料理グループを呼んだぜ。同じカレーは二度と作らないらしい。さあ、今日も最高のカレーを食べられるぜ」とか書いてあって。完全に俺らじゃん。ネタに使いますとかなにも聞いてないんだけどね(笑)。
——立役者というか、もはやカレー界の”インフラ”的な立ち位置といってもいいかもしれませんね。
最近「スパイスカレー」という言葉が独り歩きしてる感あるけど、「カリ〜番長」の初期はそんな言葉は使われてなかったからね。だいたい水野のレシピ本が入り口で影響受けた人は多いんじゃないかな。そういう人たちが「カレーの学校」に来たりもする。
——ところで、リーダーはいつからリーダーになったのでしょうか。
何のリーダーなのかよくわからないけど、リーダー決定戦を経てリーダーになったんだよね。 当時のカリ~番長にはリーダーという存在がなかったので、 とりあえず「リーダー」を決めようということになった。三茶のグレープフルーツムーンっていうライブハウスで、「4人全員」で「1対1」のカレー対決を半年かけてやって一般のお客さんに投票してもらって。それで優勝してからはずっとリーダー。
でも、ある意味これも水野の手の上で転がされてる感じだったよ。そのリーダー決定戦では本気を出してこないわけ。 マニアックでインドカレーっぽいことをやってくる。こっちはほら、一応対決用のカレーを考えてきて、カレーもそんなにまだ詳しくないし、 美味しく作るような発想しかない。水野は昔から、新しいカレーを作りたいと手を変え品を変えやってくるんだよね。でもそうすると受け入れられないわけ。その辺にカレーに対するスタンスの違いを感じたよね。
——カレーに対するスタンスの違いというと?
カレーを作るのは好きだし面白いけど、ぶっちゃけカレーを取り上げられたとしても俺は全然生きていけると思うし、カレーはやっぱりコミュニケーションツールなんだよね。
もちろんカレーにまつわる新しいことはどんどん試していきたいし、作るのが面白いから間借りカレーもずっとやっているんだけど、カレーだけにフォーカスしてしまうとむしろつまらなくなってしまうと思う。
ネットでコミュニケーションができる時代になったけど、「カリ〜番長」としてはやっぱりコミュニケーションにはリアルな場がほしい。カレーはあくまで、ニオイがして音がするリアルな場をつくるためのツールであり手段にすぎないわけ。そのためには専門家が必要だから、メンバーはみんな何かのスペシャリスト。何かに特化している人って発想自体が面白かったりするんだよね。
——メンバーみんな仲いいなって思いました。
メンバーと考え方の違いで口論になったりしたことはあるけど、別に嫌なやつではないし、俺は面白いところやいいところを知っているし、そこは言い合っても仕方ないから。楽しいところだけを見てやればいいなって感じだね。
リーダーは“ずっとリーダー”だった
——お話を伺っているとリーダーは、盛り上げつつも冷静に俯瞰し一歩引いて全体をしっかり観察しているようですが、その感覚はどうやって身に着けたのでしょうか。
たしかに盛り上がっているときに、前に行かずにちょっと見てみるよね。今のこの状況どう?みたいなさ。来てもらったお客さんに楽しんでもらいたいからそっちを見とかないとね。我々が楽しみすぎて内輪受けになっちゃうときって結構あるから。大学時代にジャズビッグバンドのサークルでトランペット吹いてて、3年のときにコンサートマスターをやって優勝して、4年になってバンドマスターになってまたバンドが優勝したわけ。メンバーに恵まれてただけなんだけど、いま思えばそのときからすでにリーダーやってたんだよね。あれこれ指示したりして。そういうステージ経験は関係あるかもしれない。
大切なのはみんなで場を盛り上げようという心意気かな。「自分のことしかやらない」っていう発想では無く、場を盛り上げるための自分、という発想が大事だと思う。なにか足りないものがあったりしてもその場にあるものでなんとかして楽しんじゃうっていうプロ意識。今回みたいな、水場も少ない劣悪な環境でビリヤニ炊いてみたり、ピアノ弾いてみたり、なんかそれも面白いじゃない。
——場を盛り上げようというマインドが大事ですね。
自分の仕事だけしてればいいんでしょ、だとうまくかない。スペシャリストでもそういう人いるからね。自分がやるべきことやってればいいんでしょ、みたいな。自分がやるべきことの範疇を超えてでも、あるいは自分がやるべきことがちょっと疎かになってもこの場をなんとかするっていうのが大事かな。
ものがなくても、大丈夫これでやるからっていう。あったらあった、ないならないでいいっていう感覚がある。「え、あれないの。じゃあちょっとできないけど」っていう発想の人は少ないかも。食べ物が絡むとどうしても味が最優先になりがちだけど、その味だけを最優先にせず、 場作りを最優先するみたいな。
——カレーでやれるようなことはだいたいやってしまったということでしたが、今後カリ〜番長としてはなにかやりたいことはありますか?
映画とか音楽とのコラボはやりたいよね。映画とのコラボは昔池袋のシネマ・ロサで一度やったことはあるんだけど、まだまだ多分やれることあると思うわけ。我々の発想ができてないだけで。音楽側からの発想はもっとあるといいかもなって思ってる。
今回のイベントは久しぶりに楽しくできてよかった。水場も何もない難しい場所で出店者も多かったけど、やってみないとわからないし、今日やったからこその発想とかも今後できるようになるからね。アウトプットの場として、参加者にとってもいい経験になったと思う。
——僕もカレーを面白がって、もっと楽しんでいきたいと思います。本日はお話ありがとうございました。
東京カリ〜番長
カレーをコミュニケーション・ツールとして「ハッピーな空間」を作ることを目標に活動しているファンタスティック・カレー集団。日本各地のイベントやクラブなどに出張し、創作カレーを販売。「二度と同じカレーは作らない」ことをポリシーとしている。伊東盛
出張カレー料理人。東京カリ〜番長のリーダー。目黒で間借りカレー店「M響CURRY」を出店する他、毎週金曜19時05分〜渋ラジ (▷IG) で「カレーと音楽のコミュニケーションラジオ 渋谷の東京カリー番長」放送中。
IG @curry365Photo & Text by Curry Philosophy(写真・文 カレー哲学)
- Researcher of South Asian Food Anthropology
カレー哲学 / Curry Philosopher
カレー哲学者/南アジアの食の人類学研究者(の卵)。「日本にインドを作る」ことを目指すインド料理グループ「東京マサラ部」首謀。カレーにまつわる同人誌『カレーZINE』、インドパンのアナログカードゲーム『ATSU ATSU!! Parotta』、『TOKYO MASALAND』など、インド料理関連のプロジェクトを手掛ける。
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