エル・ブジのフェラン・アドリアと、名物マネージャーのジュリ・ソレルが主人公たちのモデルになった映画
『美食家ダリのレストラン』監督インタビュー
『美食家ダリのレストラン』はエル・ブジとダリ、それぞれの天才のドキュメンタリーを撮ってきたダビッド・プジョル監督の「もしエル・ブジがダリが生きていた70年代にあったら?」という想像から生まれた劇映画だ。時代はフランコの独裁政権下、ダリの大ファンのレストラン支配人ジュールズの店に、バルセロナのトップ料理人フェルナンドがやってくる。フェルナンドの弟が民主化運動で逮捕されそうになったため田舎に逃げてきたのだ。フェルナンドの料理は斬新で店には客が増えるが、ダリは不条理演劇のように現れない…。このユニークな映画を撮った監督に舞台裏を聞いたところ、エル・ブジを創り上げた人々のさまざまな逸話が飛び出した。
――監督はダリのドキュメンタリーとエル・ブジ両方のドキュメンタリーを撮っていらっしゃいますが、もしダリがフェラン・アドリアの料理を食べていたらという発想はいつごろ生まれたのか、それはどちらの取材のときだったのか、詳しい状況を教えてください。
エル・ブジのドキュメンタリーを撮影していたとき、かなりの時間をレストランで彼らと過ごしました。撮影中に客たちがテラスで海を見ながら食事をする姿を見ていて、この同じ海をダリも見ていたんだろうなと容易に想像できました。同じ海辺で近くに住んでいたダリが、邸宅から自分の船でレストランのテラスの目の前まで「こんにちは」って訪ねてくると想像するのは、そんなに難しいことではなかったんです。というのも、フェランが作ったのは超モダンで限界に挑戦した料理で、同時においしく食べられるもの。そうした極限の料理を出すことにダリは共感するだろうと思ったんです。もし同じ時代にいたら、ダリもあのテラスで海を見ながら前衛的な料理を堪能していたのではないかと想像することは、私にとってはとても自然なことだったのです。
――監督はマラガ映画祭のときバラエティのインタビューに「エル・ブジのマネージャーだったジュリ・ソレルとダリには共通点があって、王族とストーンズTシャツを着た女の子に同じように接する人だった」と答えています。実際、ジュリ・ソレルは自分がエル・ブジを買い取った際、レストランの名前からハシエンダを取る反骨精神の持ち主だったそうですね。(“ハシエンダ”とは“領主の荘園”を意味し階級制肯定的なニュアンスがある)ジュールズのモデルがジュリ・ソレルなんですか?
この質問は、とてもうれしいです。まさにご質問の通り、ジュールズはジュリ・ソレルです。多分ご存知かと思うのですけれども、ジュリ・ソレルはフェランが来る前からレストランを持っていて、とにかく自由な人、そして夢を追い続ける人でした。フェランがエル・ブジに来たときにはすぐにはマネタイズできたわけではなかった。しばらくはお客も来ず、働く人に給料が出せないような状況が続きました。しかし彼は夢を信じて情熱をレストランに注ぎこみ続けたので働く人がいなくならなかった。彼についてくる人が必ずいたんです。そんなふうにお金を稼げない状況でレストランビジネスをずっと続けるなんて頭がおかしいんじゃないかと言われたほど、とにかく夢を追い続ける。作品中のジュールズも同じです。自由で、自分の夢に向かって一直線で、もう周りが見えないというか、そういう感じです。だからジュールズはリアルなジュリ・ソレルに近いキャラクターなんです。そしてじつはダリも同じです。彼も若いときには自分の夢のために病気になってしまうような人でした。自分がやりたい夢を追い続けて、周りが何を言おうとも夢を信じて情熱を傾けた人です。ダリと同じようにジュリ・ソレルも本当に自由が大好きで、周りから見たらちょっとクレイジーだと思われるぐらいにローリング・ストーンズが大好きで、楽しんでくれる客にはどんな人でも同じように接していました。非常に面白い人で、ジュリのおかげで私もフェランとの結びつきができてドキュメンタリーを撮ることができました。
――映画の中でフランス人のグルメ評論家が店を紹介しようと言ってくれたのに直後にダリを貶したためにジュールズが啖呵を切って店から追い出すシーンがありましたよね。そうした熱さをソレルさんのエピソードから感じたんです。
じつはあのシーンは脚本を書くのに数日かかりました。あのシーンまではジュールズは、有名な画家であの地方で尊敬されているダリに、有名人に自分のレストランに来てほしいとやや表面的な夢を描いていたわけです。ところがあのシーンでジュールズは、ダリが有名人だからではなく、こういうアーティストだから僕は愛しているんだと、だからレストランに来てほしいんだと自分の気持ちに気づいたんです。さらにあのシーンではダリというアーティストの本質についても表現したかった。ダリは見た目や言動から表面的に批判されることが多いアーティストですが、本来は非常に複雑でとても奥深い人間性を持った人だということも伝えたかったんです。それをジュールズが代弁しているので、私にとって大切で重要なシーンでした。
ジュールズ。前に置いてあるのはダリが瓶をデザインしたブランデー、コンデ・デ・オズボーン
――熱いジュールズに対してフェルナンドは研究者のように冷静ですが、フェランもそういう人だったんですか。監督はドキュメンタリーの取材でフェランの料理を召し上がっていると思いますが、どんな印象を持たれましたか。
スペイン語のフェルナンドという名前はカタルーニャだとフェランなんです。だからまったく同じ名前です。実際フェランはとても哲学的で、新しいアイディアをすごく深く考えて、そのアイディアをさらに考察するタイプ。料理には真面目ですが冗談やウイットに富んだことも言う人で、まさに映画の主人公の料理人フェルナンドと共通するところがたくさんあります。先ほど言ったようにジュールズがジュリ・ソレルなので、(キャラクターだけでなく)二人の関係性も非常に似た設定になっています。
フェランの料理はもちろん食べました。45種類の小皿の料理を何時間もかけて食べるコースに同席することができました。非常に繊細な料理でした。映画で使っているのは7から8皿ぐらい、フェランの20年間の歴史のなかで非常に象徴的なものから選びました。どちらかといえばヌーヴェル・キュイジーヌに近づいてきた時代の料理を使っています。映画にも出てきたエスプーマは確か1998年の作品だったと思います。スペイン語でエスプーマ・デ・ウモのウモには、煙と燻製の意味があります。初めて食べたとき「どっちだろう? 燻製の味がするのかな?」と食べてみたところ、完全に煙を感じたわけです。それは美味しいのかと聞かれると「煙じゃないか」っていうイメージを感じただけ。でもなぜそういう料理を作るのかというと、料理の限界をお客にどこまで感じてもらえるかという挑戦だったのです。食事というものは舌で味わうものですが、五感すべてを使って食事したとき人はどう感じるのかということに挑戦したわけですね。私もそういう超現代的な料理を食べて、五感で食事を感じることができたと思います。
フェルナンド。天才料理人なのに弟のために最初は下働きとしてジュールズの店に入る
――フランコ政権の圧政が背景になったのは、兄弟をバルセロナからカダケスに移動させるのに都合がよかったからですか。それともここ10年ほどの右翼ポピュリズムの隆盛に危機感を抱かれているからですか。
スペインは74年まで独裁政権だったのですが、75年に独裁政権を牛耳っていたフランコが死んで、国は急速に民主化に舵を切りました。映画の舞台は74年の独裁政権時代のスペインですが、カダケスはフランスに非常に近い位置にあり、独裁制の圧力は見え隠れするもののバルセロナなどの重圧とはちょっとかけ離れた自由な風土の地域だったんです。国中に圧力がある中でやや自由な場所というのをカダケスが象徴しています。また、ダリが住んでいる土地に舞台を移すことも必要でした。自由を求める人たちが集まるような場所というイメージを持っていただくといいかと思います。
ですがおっしゃる通り、現在、フランスの選挙などでも右翼が台頭していてヨーロッパで非常に問題になっています。スペインでもいろんなところで右派や極右がこれまでよりも台頭してきている現実があります。右派の政治になると、「こういう意見を言うな」とか「こういうことをやるな」と圧力がかかってくる。そうしたことが起きたときは、私たちは自分たちが自分たちらしくいられる自由のため、自分たち自身を表現するために戦わなくてはなりません。そうしたことを表すために選んだ土地、登場人物であり、それが映画のメッセージです。
同時に、どんなに政治が変わってもどの政党が主権をとったとしても、海は海であり、木は木であり、自然は自然であって、美しいものは何が変わったとしても美しいものであり続ける、そういったメッセージもこめました。
ただ、長い歴史を見ると政治というものは振り子のような動きをしていて右に触れたら真ん中に戻ってきて、また左になるというようなことを繰り返しています。この映画では政治的なことより表現の自由の大切さを重要視して作っています。夢を持って夢を育てていくことで、人間性というものが成長して行きます。そういった人達が増えればいがみ合うようなことにはならないのではないでしょうか。
――素晴らしいメッセージです。最後の質問ですが、実際に料理を考証したりつくったりしたのはどこのレストランのなんというシェフですか。
この映画の料理監修はフェラン・アドリアからの推薦で、エル・ブジの有名な料理の数々が生まれた時代に厨房で彼と一緒に働いていたシェフのエドゥアルド・ボッシュ(Eduard Bosch)がスーパーバイザーをしています。
もう一つ、この映画に影響した逸話を話させていただきたいのですが、フェランの料理の創造性が大きく変わった分岐点があったんです。それがエル・ブジに[壬生]の石田さんご夫妻(石田廣義・石田登美子夫妻)がいらっしゃったときです。その時の交流を起点にフェランの料理が大きく変わりました。石田さんを通じて日本の方たちが大事にされている自然との繋がり、自然と人間の関わりを感じたことが原因です。それに石田さんは、たくさんの客を来させようと思えばそうできるにも関わらず、二つのテーブルだけしかお客を入れず、そこで異なるグループの客同士が会話できるようにしています。つまり、料理は経済とかそういったものではなく、パーティでありもてなしであると提示されているのです。そのことにフェランは非常に強く感銘を受けていました。また石田さんがフェランと出会ったとき、石田さんご自身も少しモチベーションが落ちていたときで、自分がこれからどうしようか、どういう方向に進んでいき何をすればいいのかと考える時期だったそうです。石田さんもフェランに出会って新しいインスピレーションが浮かび、また新しい料理を作り出した。つまり東洋と西洋が交差して、そこでフュージョンが生まれたと私は考えています。私もその場に居合わせたので私も新しい視点を得られましたし、出会いが新しいものを生み出すそれぞれの分岐点になったことに人生の素晴らしさを感じています。そうしたことを描きたかったんです。
――ありがとうございます。とても興味深いお話でした。ありがとうございました。
ありがとうございました。
『美食家ダリのレストラン』
8月16日(金)より新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、シネ・リーブル池袋他にてロードショー
『美食家ダリのレストラン』はエル・ブジとダリ、それぞれの天才のドキュメンタリーを撮ってきたダビッド・プジョル監督の「もしエル・ブジがダリが生きていた時代にあったら?」という想像から生まれた劇映画だ。時代はフランコの独裁政権下、ダリの大ファンのレストラン支配人ジュールズの店に、バルセロナのトップ料理人フェルナンドがやってくるが…。実際にフェラン・アドリアと働いていたシェフによってエル・ブジの代表的な料理の数々が再現されるのも興味深いが、ダリの作品のオブジェだらけのセットや、人間ドラマも見どころ。<2023/スペイン/スペイン語、フランス語/カラー/115 分>
提供:コムストック・グループ/ファインフィルムズ
配給:ファインフィルムズ/コムストック・グループ
原題:Esperando a Dali
映倫:G
後援:スペイン大使館 Embajada de España/インスティトゥト・セルバンテス東京
©ESPERANDO A DALÍ A.I.E. 2022
https://dali-restaurant.com/
- Film Writer
遠藤 京子 / Kyoko Endo
東京都出身。映画ライター。『EYESCREAM』『RiCE』に寄稿、ガールフイナムにてGIRLS' CINEMA CLUBを連載中
- TAGS