風来坊な食いしん坊
003 島の静けさが教えてくれたこと
この記事を書く今、僕は東シナ海に面した町にいる。つい先日までは穏やかな瀬戸内の海を眺めながら、毎日畑に出ていた。
4ヶ月程前の2024年5月16日、僕は因島に到着した。5月に東京を離れ、長い時間車を走らせ目指した先は、広島県は尾道市因島、“みなと組”加藤靖崇さんの畑だ。この時季、島中は柑橘の花の香りに包まれている。車を降りた途端、爽やかで微かに甘い香りは運転の疲れを少し和らげてくれた。初めて訪れたのは2年前の冬。ちょうど柑橘の果物がなっている頃だった。そんな因島は八朔の原産地である。
瀬戸内海
皆さん、こんにちは! 富岡誠太です!
前回は因島の農家さん“みなと組”と共に生活をし、日々感じていたことを記事にしました。第3回目である今回は、都会の暮らしから一転、因島での4ヶ月を通して考えたことを書いてみようと思います。
みなと組の畑にて
因島での4ヶ月間、僕はみなと組さんと生活を共にした。朝も昼も夜も、畑でも家でも。色んな面で少々お邪魔しすぎちゃったな、なんてことも思っている。(笑)
僕は朝が好きだ。高校生の頃から今日まで基本5時台には起きている。起きたらまず体を動かすか、本を読むか、もしくはその両方をする。都内でもカフェに勤めていたし、朝来てくれるお客様に「おはようございます!」と挨拶を交わす時間がとても好きだった。その人の日常のほんの一部になれた気もして。
因島でも早朝は同じように過ごし、朝ごはんを食べて畑に出て、お昼ご飯を食べに家に戻る。午後も再び畑へ行き、日が暮れたら家に帰って、汗を洗い流し、みんなで食卓を囲んだ。そして寝て、明日を迎える。全く同じ日などないけれど、文字に起こしてみると同じ日の繰り返しのように見えてくる。瀬戸内海を隣にそんな日常生活を送っていた。
筆者、そら豆畑にて
「ケの日ハレの日」、因島にいる間この言葉がずっと頭の中にあった。
特別な「ハレの日」と平凡で日常的な「ケの日」。日本は昔から年中行事や人生の節目となる日をハレの日としていた。ハレの日には晴れ着を着て、普段あまり口にすることのない酒や肉、豪華な料理を食べていた。いつもと同じように朝起きることから始まり、仕事をして、ごはんに味噌汁、そして少しのおかずを食べて眠る。そのような日常生活のケの日。先人たちは毎日のようにケの日を繰り返し、ハレとケの暮らしを食の営みでリズムを刻んでいた。
東京での暮らしから打って変わった僕の毎日では、こうしたことを考えざるを得なかった。都内では会食やイベントにパーティー、友人との食事も少なくはなかった。街を歩けば、あらゆる場が眩しくて賑やかな時間で溢れていた。現代のライフスタイルから解釈すると、ハレの日は人との繋がりであったり、社会の枠組みのようなものを感じさせてくれる。
僕は料理が得意と胸張っては言えないが台所に立つ時間は好きだ。食材に触れ、まな板と包丁、火を前に自分と向き合う。都内にいた頃、その時間は生活のリズムを整える時間であったし、社会の枠を超えたもっと大きな世界、地球や自然との繋がりを感じる時間でもあった。自分のペースで料理をし、静けさに身を置きながら、よく噛んで食事をする。当たり前のようなこの時間はなくてはならないものであった。
因島にいる間は太陽の動きに合わせて活動していた。働き、食べて、走って、眠る。そして学ぶ。とてもシンプルなものだった。汗だくの野良仕事後に3人揃って食卓を囲むひとときの思い出は沢山だ。
畑で採れた夏野菜
自家製セミドライトマトと庭のバジルの冷奴
この土地が育んできた文化を守る島民と、みんなを笑顔にする美しい景色。目にしていたものが豊かさを物語っていて、日本人が本来もっていた心のあり方や暮らし方、地域の原風景を感じさせてくれた。刺激は少なくない、これ以上求めるものは何もなかった。
夕暮れの因島大橋
僕は小さな頃から人見知りもしないし、老若男女、色んな人と会っては話す。美味しいものが好き、今でもレストランも好きだし大勢でワイワイする時間も、親しき友人とお酒を交わす時間も凄く好きだ。だけどそのような日、ハレの日ばかりだと浮き足立ってしまい、大切なことを見落としてしまいそうだ。人もそれ以外の大きなものも持続的ではないような気もしてしまう。
先人たちがハレの日ケの日でメリハリをつけ、健康的に日々営んでいたように、“ケの日”という下地が固められた上に“ハレの日”という喜ばしいものが存在すると思っている。ハレの日ケの日を意識することは、おのずと季節や人生の節目、自然というものが身近になっていく。
みなと組ミニパプリカ
自家製梅干し
「今年は梅があまり取れんかったね〜」
ご近所さんと挨拶を交わせば、梅の時期に必ずと言っていいほどに島にはこの会話があった。
「梅干しにする、梅酒にする。早くやらんと」
みんながみんな、梅に追われていた。自分たちで育てたものやご近所さんの野菜が食卓に並ぶことも数多くあった。
季節の野菜や草花、虫や動物に囲まれて暮らす。太陽の動き、野菜や果物など植物の動き、それらから変化する食卓と暮らしの品々。時計の針やカレンダーだけでなく、季節の移ろいで過去でも未来でもなく、今ここに生きていることを感じる。自然や昔ながらの “農”のある暮らしは現代社会を生きる僕に沢山のメッセージを与えてくれた。静かで節度ある平穏な日常の中にこそ幸せは存在する。
次なる町を目指す道中、東シナ海を前に思い返していた。柑橘の花の香りで迎えられ、無花果の葉の香りで見送られた瀬戸内海に浮かぶ小さな島。僕の忘れられない夏になった。八朔が美味しくなる頃に因島のみんなにまた会いにいこう。
1999年、埼玉県出身。大学在学中に旅や生産者巡りをはじめる。同時に代々木上原カフェ[BOLT]の立ち上げに参画。その後、マネージャーを務めたのち、現在は東京を離れ、訪れたことのある土地の生産者の元で生活を送っている。