風来坊な食いしん坊
004 シロユタカな⽇々
瀬⼾内海に浮かぶ⼋朔の島を後にし、次なる⽬的地の⿅児島県へ向けて⾞を⾛らせる。最後の源平合戦、壇ノ浦の戦いの場として知られる下関でひと休み。その⽇は博多まで⾞を⾛らせ、福岡に住む友⼈と⼣⾷を共にした。翌朝早くに宿を出て、お腹が空いた頃には熊本城の標識が⾒えてきた。熊本市内の定⾷屋さんで⽣姜焼きを⾷べ終えれば、最終⽬的地阿久根に向けて運転の再開だ。
東シナ海に⾯する街、⿅児島県は阿久根市。初めてこの街に訪れたのは1年くらい前のこと。東京と阿久根を拠点に活動する友⼈の⼩川紗良さんに連れてきてもらったのがきっかけだ。農家さんやこども園の訪問、⽵林整備に焼酎蔵の取材撮影、阿久根で活動する⽅々との交流の3⽇間だった。知る⼈が⼀⼈もいないこの街であったが、紗良さんの街案内によって沢⼭の⼈と場が迎えてくれた。
伊勢えび祭りの⽂字が街中あちこちに。阿久根で⼈⽣初めての伊勢海⽼を⼝にした。漁師さんが営む海鮮料理のお店”ドライブイン潮騒”でプリップリの鮮度抜群の伊勢海⽼や地⿂の刺⾝を⾷べたことがこの街にもう⼀度来る事を決めた理由の⼀つでもある。(笑)
⾃然豊かで美味しい街であることももちろん再び訪れたくなった理由ではあるが、それだけではない 。1年前の僕は、翌年は畑や造り酒屋などの地⽅の⽣産現場に⾝を置くことを⼼に決 めていた。様々な⼟地や⽣産者を訪ねるに連れて、共に⽣活をしてみたい、その⽬線を味わいたい。純粋にそう思うようになっていった。都市⽣活をしている中で⽣産者側に⾝を寄せ、地⽅に暮らしを置くことが今の⾃分に必要なことかもしれないと考えた結果だった。⽇常の⽣活⾵景から切り離され、⾒えにくくある⾷の営みを近くに感じにいくために⽣活を180度変えてみた。5⽉に代々⽊上原“BOLT”を離れ、まずは因島に向かった。そして今は阿久 根の⼩さな焼酎蔵”⼤⽯酒造”で蔵⼈としてお世話になっている。
まさか焼酎蔵で働くことになるなんて阿久根に初めて訪れるまでは考えてもいなかった。お酒は強くはないけれど、楽しむことは好きな⽅だと思う。だけど焼酎は滅多に飲まなかった。ワインや⽇本酒、いわゆる醸造酒が好きでお酒を飲む時は決まってそればかりだった。昨年初めて⼤⽯酒造さんに訪れ、⼈に魅了された。⼤⽯社⻑に娘の晶⼦さん、そのご主⼈で専務の恭介さん、杜⽒さんに仕込み期間働きに来ていた⽅、芋切りのおばあちゃん達、働く皆さんと話す中でこの場所にもう⼀度来たい!そう思った僕はもう⽌まらなかった。
蔵を丁寧に案内してくれた晶⼦さんの⼝から、来季の仕込み期間⼈⼿が⾜りないとの声が聞こえた 。その⾔葉を僕は逃さなかった。「来年、僕来てもいいですか」と蔵⾒学後に事務所で⾔った。その翌年9⽉1⽇に因島から再びこの街にやってきた。
芋焼酎をメインとして製造する⼤⽯酒造では毎⽇さつまいもと⽶と向き合う⽇々である。⼀度 に仕込む量のシロユタカ(さつまいもの品種)を⽬の当たりにした時は⽬を丸くした。関東では⾒たことのない真っ⽩いさつまいもが⼭のように積まれていて、しかもそれを包丁⽚⼿に⼀つ⼀つ⼿作業で切り、選別していた。⽩い品種のシロユタカはデリケートなため、輸送には不向きらしい。さつまいもの仕込み量に驚きは隠せなかったが、それでも⼤⽯酒造は少ない⽅とのことである。さつまいも⼤国恐るべし。
⼤学⽣の頃、村上春樹⽒のエッセイ『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』を読んだ。それ以来、ピートの効いた独特なスモーキーフレーバーのスコッチウイスキーが好きになった。世界でも有名なスコッチウイスキーの産地スコットランドには蒸留所がおよそ160程度あるとのことだが、かつて⿅児島含む焼酎⽂化圏には密造を含み3000を超える焼酎の蔵があったらしい。恐ろしい数、さつまいもの産地であり薩摩の⼈々はよく芋焼酎を飲んでたのだろうなぁと容易に想像がつく。それから焼酎を販売する酒屋に課せられる税額が増えていくと同時に焼酎屋も減っていったとのことだ。
僕は寒いのが苦⼿で、寒さの度が過ぎると無⼝になり不機嫌になる。何年も前に友⼈達と真冬のディズニーランドに⾏ったことがある。アトラクションの待ち時間を無⾔で1時間半過ごした時は流⽯に少し呆れられた。とにかくそのくらい寒いのが苦⼿だ。⿅児島は暖かく⾃然が豊かで過ごしやすい。運転していて⼭を⾒ると緑が濃いと感じる。
中学⽣の頃に社会の教科書でみた記憶があるが、⿅児島は温暖な気候であることと⽕⼭灰におけるシラス台地が特徴の⼟地である。
⽇本の⾵物詩であり、⽇本の⽂化を形成していった稲作。それらを基に神に捧げるために造られたと⾔われる⽇本酒は⿅児島含む九州地⽅には広まらなかった。それは気候と特有の⼟壌が稲作と⽇本酒を作ることに適さなかったからだ。
今みたく⾷べ物が溢れている時代ではない頃に⽶が取れない⿅児島では強い農作物であるさつまいもの栽培が盛んになった。この⼟地ならではの⾵⼟と暮らす⼈が芋焼酎を造り育て、現在まで守り繋いできた。
⼤⽯酒造の代表銘柄に【鶴⾒】がある。街をランニングしていると飲⾷店の⾄る所に鶴⾒の⽂字が散⾒している。地のものを飲もうという⽂化が感じられる。焼酎造りが盛んで流通が発展していない頃は九州男児によるその⽂化はもっと強いものだったのだろう。焼酎屋と飲⾷ 店の関係性が街と暮らす⼈々を⾼揚させていたのだと思う。鶴⾒が置かれていて⼤⽯酒造とも縁が深く皆に愛された名物かあちゃんのスナックが阿久根にはあったと聞く。残念ながら僕が知る前にそのお店は畳まれていた。今季の⼤⽯酒造の製造に使⽤するさつまいもの選定、切り作業にその名物かあちゃんも参加することになっていた。そして僕はその⺟ちゃんの 隣で早朝芋切りをしている。お喋りしていると、その店に通いたくなる理由がよくわかる。みんなこの⺟ちゃんに会いに⾏ってたんだなぁと実感した。⾃分はどう写っていたのだろうかと、カフェのカウンターに⽴っていた⽇のことをなんだか思い返してしまった。
とある⽇、蔵で仕事をしていたら社⻑の奥様が「今晩は伊勢えびBBQよ」と。蔵仕事に精が出る。お腹ペコペコで臨むためによく動き、昼⾷は控えめにした。名物かあちゃん達と奥様が伊勢えびを沢⼭⽤意してくれていた。そのときに僕は思い出した。初めて阿久根で⾷べた伊勢えび、ドライブイン潮騒のことを。あれから1年のときが過ぎた。
東京を離れ、因島にいき、そしていま阿久根にいる。1年前、初めて伊勢えび⾷べた⾃分は再びこの街の造り酒屋で伊勢えびを6匹⾷べるだなんて想像しただろうか。
⾵来坊な⼈⽣、何が起こるかわからない。だけどそれがたまらないんだ。
明⽇もシロユタカと向き合っていく。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
次回は焼酎蔵での⽇々についての記事にしてみようと思います。
1999年、埼玉県出身。大学在学中に旅や生産者巡りをはじめる。同時に代々木上原カフェ[BOLT]の立ち上げに参画。その後、マネージャーを務めたのち、現在は東京を離れ、訪れたことのある土地の生産者の元で生活を送っている。