新説! 東京ラーメン

第4回 夜の東京ラーメン(東京背脂ラーメン)


Takashi WatanabeTakashi Watanabe  / Nov 22, 2024

戦前、戦後と時代の時間軸で東京ラーメンを考えてみたが、今度は昼と夜、一日の時間軸で東京ラーメンライフを整理してみよう。

夜のラーメンといえば、飲んだあとのシメの味。チャルメラの味もいいのかもしれないが、あんな物語で描かれるような世界、実は体験したことがない。やっぱり、わかっちゃいるけど、やめられないアイツ。背脂の浮いたあのラーメン。背徳のラーメンが恋しいね。

地方に行けば、ラーメンは朝や昼の味。そんなに遅くまで営業している店なんて大都市くらいのものさ。その中でも日本一の不夜城東京には夜の東京背脂ラーメンがある。あんなラーメン異端だって?オレたち夜鷹にとっては、あのラーメンこそ王道のラーメンだ。東京ならではの食生活って問われたら、真っ先に思い浮かぶのはミシュランの店じゃなく、背脂だね。

こんな風に思っている人はいないだろうか。最新のラーメン談義ばかりされて、嫌気がさしてるラーメン好きはいないだろうか。

東京ラーメンはあっさり細縮れ麺のノスタルジックなものだけであってほしい、という人にとって背脂ラーメンは、一部の過激なカルチャーにしておきたくなるのかもしれない。だが、激動の戦後を逞しく生き残り、かつ特定の地域に偏らず、東京の隅々まで行き渡り、東京以外の地域ではあまり食べられない個性的なラーメン、と考えるならば、逆に背脂ラーメンこそ東京を代表するラーメンなのではないか。

まずは、東京背脂ラーメンが広がった背景を考えてみよう。

東京の人口は、1920年に320万人、戦前最大730万に膨らみ、戦争で再び380万人にまで減る。その後、復興により全国から人が集まるようになり、1963年には1千万人に到達する(区部は880万人)。この2.6倍に増えた人口を支えた昭和の大衆食、ラーメンは、昼夜を問わず猛烈に働く人々のため、また、豊かになっていく過程で時間を惜しんで遊ぶ人々のため、夜ラーメンの世界を生み出してく。

また、深夜営業という形態自体は1963年の東京オリンピックの時代から酒を飲ませる(スナックやクラブのような)業態で広まり、1975年にセブンイレブンが24時間を営業をはじめ、1980年代の狂乱の時代へと繋がっていく。それまでは商店街も夕方のかきいれ時を過ぎると灯りを落とし、街が暗くなるのが当たり前だったのだ。

そんな中、夜のラーメンを担ったのは屋台である。屋台自体は参入障壁の低さ(コスト)と規制の緩さもあって戦前から存在したが、戦後、移動式屋台が開発されると一気に広まっていく。戦後、最盛期には300基以上の屋台が東京にはあったという。

屋台のラーメン
現在、東京のラーメン屋台はほぼ無くなってしまった

戦前より支那そばを提供する屋台ラーメンは東京にも数多く並んだが、その中から革命的な屋台が誕生する。ホープ軒である。ホープ軒は戦前、澄んだスープの支那そばから始め(屋号は貧乏軒)、戦後、ホームラン軒など屋号の変遷を経てホープ軒として吉祥寺コバルト商店街で人気を得る。

[ホープ軒本舗]
ホープ軒本舗のラーメン。暖簾には「SINCE1938 旧ホームラン軒」と入る

その後、ボランタリーチェーンのような形式でホープ軒屋台が広がり。遂には最大100基以上になった。そのホープ軒屋台の中でも国立競技場前にある現千駄ヶ谷ホープ軒の牛久保さんが引いた屋台は、スープを白濁させ、背脂を入れ、人気を博した。その屋台を手伝った人たちが独立し、弁慶や香月などの超人気店も生む。一方本流のホープ軒は吉祥寺に店を構え、ホープ軒本舗として営業、夜の東京ラーメンとして認知されるに至るのである。

千駄ヶ谷ホープ軒は1975年、ホープ軒本舗は戦後まもなく店舗を構えたがその後屋台に戻り、1978年に現店舗で再出発を果たした。この2つのレジェンド店は、先に述べたように1970年代の高度経済成長期に起こる夜〜深夜のニーズを見事にキャッチアップしたのである。

九州の豚骨ラーメンのような炊き込む白濁スープではなく、フレッシュでライトなスープに背脂の組み合わせは、今の価値観に照らせば思ったよりくどくない仕上がりで、かつ、非日常的な麻薬性も併せ持っていた。

[千駄ヶ谷ホープ軒]
国立競技場前。年中無休24時間営業の千駄ヶ谷ホープ軒。丼には漫画家横山泰三のイラストが入る

次に1980年代に起こった環七ラーメンブームで、自他ともに認めるこってりを売りにした名店、土佐っ子ラーメンが登場すると背脂ラーメンの認知度は一気に上がっていく。タレが下に沈みこれでもかと入った背脂のスープをかき混ぜ食べる味に衝撃を受けた人も多いが、同時に同業者からも、あんなこってりしたラーメンなんて、と揶揄されることすらあった。だが、それも現代から見るとラーメンの可能性、多様性を押し開いた画期的なお店なのである。

[下頭橋ラーメン]
土佐っ子ラーメンの意思を次ぐ下頭橋ラーメン

そして、背脂ラーメンは、東京全域に広がっている点も見逃せない。東側には、先のホープ軒系譜の使者である弁慶や涌井、ラーメン勝があり、千葉で広がったなりたけに至る。西は東上線沿線に広がった大番、東村山に本流の親族で営む村山ホープ軒、そして、多摩地域に広く分布するにんにくやなどがある。山手線内には一世を風靡した香月やその出身のたくみ、丸富らが都心の夜中に甘い誘惑を囁やき続ける。いずれも営業時間の中心を夜に据えた夜の東京ラーメンだ。

全域に分布する東京背脂ラーメン

最後に、大切なことを付け加えておきたい。それは東京背脂ラーメンが、単なるノスタルジーな存在ではなく、バリバリの現役であり、また未来に繋がるラーメンだということだ。最新の情報にも触れる若い人たちにも支持され、新しい店もできる。決して一部の人々のためのカルチャーではなく、東京に愛されているThe東京ラーメンなのだ。

次回は、今回の夜の東京ラーメン対し昼の東京ラーメンを探っていく。

背脂ラーメンを支持する方は是非、ハッシュタグ #背脂ラーメン地位向上委員会 をご活用ください。

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