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失われたすしを求めて
第1回 ラオスのソムパー
「もし今後、一つの料理しか食べることができないとしたら?」
わたしは躊躇いなく「すし」と答える。
* * *
一説によるとすしは、東アジアを流れるメコン流域にルーツを持つ。川で捕れた魚を長期保存するために、米、塩とともに漬けて発酵させたものだという。現在もラオスでは「ソムパー(すっぱい魚)」、タイでは「プラーソム(すっぱい魚)」と言われる塩辛のようなものが食べられている。
これらは魚を発酵させる必要があるので、完成するのに少し時間がかかる。
どうしても、今すぐにすしを食べたい、という熱い要望に応えるため、お酢を混ぜることで「酸し(すっぱい)」を再現した「早ずし」が登場。この早ずしが、今日の握り寿司に繋がってきた。
そしてすしの波は海を越え、遠くアメリカにまで至る(カルフォルニアロール)。人がうごけば暮らしが変わり、暮らしにあわせてすしも変わる。すしは暮らしの鏡なのだ。
巻きずし、押しずし、ちらしずし。ばらずし、棒ずし、いなりずし。
* * *
すしのルーツを探しに、東南アジアのラオスへ。中国の南、ベトナムの西、タイ・カンボジアの北、ミャンマーの東。山がちなこの地域を流れるメコンは、チベット高原を源流として南シナ海にそそぐまで、多くの恵みを与えている。
ラオス北部の首都ヴィエンチャンから、国内線で南部のパークセーへ。
識者によれば、ラオスの熟れ鮓「ソムパー」は特に南部で盛んに作られるとのこと。「南部でよく作られる」という情報と「ソムパー作りを見せてほしい」という紙きれだけを頼りに、ホンダ・ウェーブにまたがった。レンタルしたヘルメットが汗臭い。
パークセーをひたすら南下。メコンを挟んだ両岸に幹線道路が走り、ポツポツと村があるので、まずは東岸から聞き込み。村を訪れては紙きれを見せるが、みんな首を横に振りながら南を指し示す。言うとおりに南に行き続ける。
どんなに小さな集落にも、一つは商店や食堂があった。近所のおじいやおばあが特に話をするでもなく座っている。みんなじっと、わたしを見ながら座っている。チラッと顔を向けると、みんなチラッと違う方を見る。
幹線道路から村に入っていく道は未舗装。しかも野良犬が道の真ん中で寝ていたり、牛や鶏なんかが飛び出してきたりする。時にすばやく、慎重に、まっすぐに、ジグザグに走る。まるで人生のような道。
途中で「Cooking class」の看板を発見。「ソムパー作るかも」ということで参加してみる。ナムカオ(揚げたおにぎりを使ったサラダ)、ウアシーカイ(レモングラスの茎を割いて肉団子を詰めたもの)などを作った。結局、ソムパーの作り方は教えてくれなかった。
東岸では手がかりが掴めず西岸へ。しつこく村々を訪れては紙きれを見せるが、なかなか手ごわい。メコン中洲の島、ドンナンロイ(Don Nangloy)のコテージでようやく発見。ソムパーを作るのが得意な、隣に住むおばさんを連れてきてくれる。
「漁で獲れた魚で作らない?」と言ったが、「漁は夕方からやるんだよね」ということで、昨日獲れたらしい鯉で作ることになった。
包丁でガシガシとウロコを取って三枚におろす。
腹からは卵がたんまり出てきた。皮をひき、刺し身くらいの薄さに切ってボウルへ。塩、刻みニンニク、米を加えながら、およそ30分間ひたすらこねる。水でほぐした卵を入れて完成。「4日くらい寝かせてね」と、わたしにも分けてくれた。後日焼いて食べたら、とてもエキゾチックだった。
夕方、漁に連れて行ってもらう。この若い漁師はピーナッツ畑も持っていて(この島の人はほとんどピーナッツ畑を持っていた)、しばらく収穫を手伝わせてもらった。
空が濃いオレンジ色になる頃に漁に出る。乾季のメコンは腰くらいの深さで、対岸まで歩いて渡れる。5人でボートを押して歩く。もったり流れる水面が絹のように反射して、空気まで染めている。西に沈む太陽を背に、ヤシは燃えているよう。
ボートを押していると左足がチクっとしたので、足の裏を見るとスパッと切れて血が出ている。「お前はボートに乗っていろ」と言われて、申し訳なくなりながらボートに乗せてもらう。
岸から張った網は、川の流れに任せてたわんでいる。網を引く若い漁師の腕はすじ張ってたくましい。それは生活の腕だった。
夕日が沈み、見たことない星空。ボートを曳く、若い漁師の背中。月に照らされたピーナッツ畑、怪しく光る魚たち———。
獲れた魚は、みんなで分けた。ナマズや鯉、うなぎみたいなのも獲れた。
東の空に、異様に明るい、大きな月。山すそから現れたと思ったら、凄まじい早さで昇っていく。わたしはいま、秒速30kmで太陽のまわりを公転しながら、秒速450mで自転しているのだ。ここに「スローライフ」は存在しない。必要なものを必要に応じて、作り、食べて、寝る。寝ても覚めても絶えず川は流れ、腹は減る。とかくに人の世は忙しい⋯⋯。
* * *
東京に戻って、改めてにぎり寿司を食べる。下駄にちょこんと乗った上にぎりが、いつもより大きく見えた。
- Photographer
那須野 友暉 / Yuki Nasuno
大学卒業後、会社員を経て上原朋也氏に師事。
2025年にフォトグラファーとして独立。
IG yk_nsn
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