お菓子の細道
失われたマドレーヌを求めて
このお菓子がどこの国発祥か分からなくても、やんわりと名前は聞いたことがあるだろう焼き菓子「マドレーヌ」。
子供の頃は、マドレーヌといえば紙のカップで円形型に焼き上げられたものが、それだと思っていた。ほわっと軽く、卵や小麦粉のプレーンな風味が優しく漂ってくる。時にはレモンの香りも。
このマドレーヌの発祥はフランス。諸説あるが、僕が一番好きな説は、1755年のマドレーヌ・ポルミエさんが作ったという説だ。
マドレーヌさんが、召使いとして働いていたロレーヌ公国のお城で開かれた宴会で、事件は起きた! 宴会のデザートやお菓子を揃えなければならないはずのお城お抱えパティシエが、料理長と喧嘩をして突然出て行ってしまったのだ。困り果てた主人は、マドレーヌさんにお菓子作りの代役を命ずる。そんな無茶振りを急にされても何のその、マドレーヌさんはありあわせの材料と厨房にあったホタテの貝殻を使って、祖母から教わったあのお菓子を作ったのであった。(だいぶ脚色あり)
このお話の城の主人であるロレーヌ公の名は、スタニスラス・レクチンスキー公。そう! 彼が「スタニスラス(別の名前でも良い)」だから、この説が好き。というのは、厨房の主役である料理長やパティシエの名前ではなく、ましてや、その宴のホストであり一国の主人でもあるそのスタニスラスでもなく、一介の召使いとして働いていたマドレーヌさんの名前がついたから。リーダー達の名前ではなく、立場に関係なく作った人の名前がついたことが、職人としてはめっぽう嬉しい。
そして、約260年経った現在でも、フランスから遠く離れたジャポン(※フランス語で「日本」)で老若男女に浸透しているという事実。また、祖母に教えてもらったというだけあって、この貝殻型のお菓子の温和な佇まいと優しい風味たるや!
マドレーヌというお菓子の名前が、「マドレーヌ」だからこそ、この優しい温かみのあるストーリーが気に入っている。
想像をたっぷり膨らませたが、あくまでも諸説あり。
さて、現代のマドレーヌはどうなっているか。
冒頭に登場した円形型の、ふわっとしっとりしていて、表面がペタペタしているマドレーヌを懐かしむ人も多いと思うが、最近はとんと見かけない。あのスタイルはどうも日本風にアレンジされたもので、僕が渡仏している間も目にすることはなかった。しかも、フランスのクラシックスタイルは、もっとバサっとしている。
フランスの文豪マルセル・プルーストの代表作『失われた時を求めて』では、主人公が紅茶に浸した一片のプチット・マドレーヌ(※フランス語で「小さなマドレーヌ」)を食べ、その香りから不意に蘇った幼少時代の鮮やかな記憶をたどっていく、という描写がある。
嗚呼、浸せるんだ!
昨今の日本で主流のしっとりしたマドレーヌでやってみても、べちゃべちゃして崩れそうで、浸すからこそ旨いとはならない。
日本のマドレーヌがしっとりしている原因は、材料や日本人の好みに合わせた作り方をしている他に、ビニールなどの個包装による保存方法にある。包まれることで内部の水分が閉じこもり、しっとりするのだ。これはこれで美味しい。
また逆に、包装しないと難しい理由もある。
夏場にはとてつもなく湿気が多く、一年中を通しても湿度の高い日本では、外気の余計な湿気をブロックする必要がある。数日保たせるには、包まざるを得ない面もあるのだ。ちなみに、フランスでマドレーヌを室内で放置したら、1日でからっからのカチカチになる。それぐらい湿度が違う。
こんな日本の環境の中で、どうしたら美味しさが伝わりやすいか、今の自分の解答として、PATHでは袋に入れず、カウンターに裸の状態で陳列してある。そして、お客さんに日持ち期間を問われたら、「本日中が美味しいと思います」と答える。
そしてもっと言えば、最高のタイミングはオーブンから出た20分後。
すっかり熱は取れたが、香りが良く、薄皮一枚分外側が少しカリッとしながらも中はふんわり軽く、噛んだ時の食感がなんとも言えない懐かしさが溢れる快感。アンバランスで落ち着きがない最高の瞬間。
普通だったら、厨房の中でしか知られていないこのタイミング。それに近い感覚で食べて欲しいから、包まずにカウンターにそのまま。
本当のところ、発祥はマドレーヌ・ポエミさんが作ったか、別の人が作ったかは分からないし、召使いの人だったか菓子職人だったかも分からない。
でも、オーブンから出て20分後のマドレーヌを食べると、召使いのマドレーヌさんのストーリーも本当だったら素敵だなと思わせるほど、優しい美味しさに浸れるはずだ。
☆ なんとなくの作り方
振るった小麦粉、ほぼ同量の砂糖、ほぼ同量の卵、ほんの少しのベーキングパウダーをボールに入れしっかり混ぜる。そこに小麦粉の1割ぐらいのはちみつと、少しレモンの皮を擦って加える。レモンはお好みで。さらに、はちみつの倍ぐらいのアーモンドパウダーを加えると、ちょっとフランス風に。
最後に、小麦粉とほぼ同量のバターを鍋で溶かして、生地に混ぜる。熱すぎに注意。そして、バターを薄く塗った貝殻型に入れて、焼いたら出来上がり。
PATH
住所: 東京都渋谷区富ヶ谷1-44-2 A-FLAT 1F
電話: 03-6407-0011
時間: 8:00~15:00 (L.O. 14:00)、18:00~24:00 (L.O. 23:00)
定休: [BREAKFAST] 月曜・第2第4火曜、[DINNER] 月曜・第2第4日曜
- PATH Owner Patissier
後藤 裕一 / Yuichi Goto
1980年12月5日、東京都出身。法政大学法学部卒業。
PATHオーナーパティシエ / Tangentes Inc. CEO
大学法学部卒業後、「オテル・ドゥ・ミクニ」へ。新宿「キュイジーヌ[s] ミッシェル・トロワグロ」を経て渡仏。ミシュラン三ツ星レストラン「トロワグロ」にて、アジア人初となるシェフパティシエとして活躍。帰国後、2015年代々木八幡に「Bistro Rojiura」の原シェフと共に、「PATH」を開業。また、パティシエという職業の新たなる可能性を求め、2017年「Tangentes Inc.」を設立。デザート・菓子製造にとどまらず、メニュー開発や店舗コンサルティングなどの業務を行っている。
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