おいしい裏話
「一期一会の本質」(RiCE No.6) に寄せて
このエッセイに出てくる親方がまだお弟子さんだったときの親方がいた四谷のお店に最後に行ったのは、暑い夏の日だった。 急にトイレが壊れたそうで、私はしばらく待っていたが直らないので、店を出て向かいの喫茶店に借りに行った。そこは猫に囲まれたへんくつな親父の自宅みたいになっていて、彼は生命を活性化させる水を研究していた。 そのマッドサイエンティストぶりがめちゃくちゃ面白かったので、ちょっとお話を聞いて、パンフレットをもらって、水までいただいて鮨屋に戻ったら、大親方が「猫の放し飼い問題であそことはもめているんですよ…」と悲しそうに言った。 全く違う価値観が道を一つ挟んで展開していた。そしてどちらが悪いということもない。世界が違うというだけ。この問題はもはやどうにもならないだろうと思った。 臨機応変にどちらも観察&出入りできる人間でいたいなあ、とだけ私は思って、続きのお鮨をおいしくいただいた。
この裏話に出てくるお店: 四谷すし匠 住所: 東京都新宿区四谷1-11 陽臨堂ビル 1F 電話: 03-3351-6387 本誌エッセイに出てくるお店: 匠 誠 住所: 東京都新宿区新宿4-1-9 新宿ユースビルPAX 6F 電話: 03-6457-7570
1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞し小説家デビュー。88年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で山本周五郎賞、95年『アムリタ』で紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞、2022年8月『ミトンとふびん』で第58回谷崎潤一郎賞を受賞。著作は30か国以上で翻訳出版されており、海外での受賞も多数。近著に『下町サイキック』がある。