おいしい裏話
「運動」( RiCE No.14 )に寄せて
取材のためとはいえ、ほんもののボクシングジムにひとりで行くのはマジできつかった。だってまず縄跳びも飛べないんだもの。そもそも彼らは縄跳びなんて言わない。「ロープ」と言うのだ。 そしてそれ以前にバンデージが巻けない。左手で右手にあんなものを巻けたら、病院で働けそう。私が何回もやりなおしては地道に十分くらいかけて巻いているあれを、となりの青年はさくさくっとすぐに巻いてしまうのである。しかもきれいに。 コーチが「このまま洗濯すると他のものにからまるから、ネットに入れてね」と関係ない指導をしてくれたことが忘れられない。 取材だから自分なんてどうでもいい。周りの様子を見るのである。いろんな人がいる。なんだかわからないけれどとにかく毎日いる人とか、サンドバッグをたたくときにびっくりするほど大声で気合を入れる人とか。 たまにプロが試合前の練習に来るのだが、その速さパンチの重さといったら、格段に違っていた。プロとはすごいものだと思った。それでも試合を見に行くとその人はケチョンケチョンに負けたりしている。TVで国外の人と試合をしている人なんて、どれだけレベルが高いんだろう? そんなことをしみじみと学んだ短いボクシング体験だった。
金子ボクシングジム https://kaneko-boxing.com/
1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞し小説家デビュー。88年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で山本周五郎賞、95年『アムリタ』で紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞、2022年8月『ミトンとふびん』で第58回谷崎潤一郎賞を受賞。著作は30か国以上で翻訳出版されており、海外での受賞も多数。近著に『下町サイキック』がある。