食の学び舎「foodskole」授業体験レポート vol.11
衣食住、自分のスタイルをもつ。
まずはじめに。
こんにちは。食の学び舎「foodskole(フードスコーレ)」で校長をしています平井巧です。
foodskoleでは、2021年4月から「21年度前期Basicカリキュラム」がスタート。社会人から大学生、年齢も立場もバラバラな方たちが、9月までの半年間、全12回の授業を通して一緒に食について学び合います。
食を文化として学び、食にまつわるモノ・概念を持論で創造し、生きる力を持つ。これを「食の創造論」として、foodskoleのテーマに置いています。
foodskoleの授業の中で、ゲスト講師に教えてもらったこと、受講生のみんなで話し合われたこと、気づかされた視点は毎回たくさんあります。これをレポートとして形に残すことは、後々の振り返りとしてきっと役立つはず。
何よりfoodskoleの中にいる自分たちだけでなく、食のことが好きなたくさんの人たちに、このことをおしみなく共有したい。そんなことを思いましたので、いま受講している方に、授業の「体験レポート」を書いてもらっています。
1回目: まずは循環のはなし。世界のこと。
2回目: 発酵でつなぐ都市と地域。
3回目: 市場、ポケマルとスーパーの違い。
4回目: 野菜は誰かが運んでいる。
5回目:見える畜産。
6回目:食材の始末を考えて料理をするということ。
7回目:なぜ料理をするんだろう?
8回目:なぜ料理をするんだろう? 2回目
9回目:食べ物とウンコの話
10回目:それはゴミ?資源?
foodskoleで学ぶ自分たちがそうであるように、これを読まれた方たちにも、「食」の向き合い方に良い変容が起きることを期待して。これからこの授業体験レポートをお届けしていきたいと思います。
foodskole 公式サイトは、こちらをご覧ください。
第11回目の授業は「衣食住、自分のスタイルをもつ」をテーマに平野彰秀さんさんをゲスト講師にお招きしました。
今回の体験レポート担当は、foodskole生の萩原有希さんです。(foodskole校長/平井巧)
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こんにちは、フードスコーレ受講生の萩原有希です。
フードスコーレでは、「食」という同じテーマに興味を持った人々が、一緒に授業を受けています。
同じ興味を持った人たちが、同じ授業を受けていても、立場や価値観、経験によって捉え方は様々で、受講生同士が思い思いの意見を交わすことで、自分だけでは見えなかったもの、思いつかなかった考えに触れることができます。
11回目のテーマは『衣食住、自分のスタイルをもつ』。
講師は、岐阜県郡上市石徹白(いとしろ)で暮らし、小水力発電所の建設や、地域に伝わる伝統的な裁断・縫製で作った服の製造・販売に携わる、平野彰秀さんです。
平野さんは14年間東京で暮らしたのち、石徹白に移住されたということですが、私自身も東京で暮らし、1年前に仕事の都合で地方移住をしています。
平野さんの経験や思いをお伺いし、自身にどのような気づきがあるか、そして、都市と地方に様々なそれぞれの距離感を持つ受講たちに、どんな化学反応が生まれるか、楽しみです。
■自分と周りが心地よく過ごせるための取捨選択
みなさんは、何故そこに住んでいますか?
生まれ育った家や土地?パートナーがそこに住んでいたから?
仕事や通学を考えて決めたり、子育てにいい環境を選んだり。
「ここに住むのが憧れだった!」なんて人もいるかもしれません。
コロナ禍で環境や価値観が大きく変わる中で、衣・食・住、それぞれに対しての考え方、利便性、心地よさが変化しつつあります。
まだまだライフスタイルが変わっていく中で、私たちは何を軸に取捨選択してゆくと好いのでしょうか。
■平野さんが石徹白に出会うまで
平野さんの生まれは岐阜市の郊外で、周囲には田園風景が広がる環境で育ちました。
子供の頃に囲まれていた田園風景を残したいという思いを持ちながら、大学時代には色々な地域に出入りし、地域のための活動をしていきます。
しかし一方で、大学を卒業した後、それらの地域との関りがスッパリとなくなることに後味の悪さを感じ、そこから「どこかひとつの地域に根差した活動をして、その地域がよくなるような活動をしたい」と考えるようになったそうです。
社会人になった後も、仕事の傍らNPOに参加し、地域と関りを持ち続けた平野さん。
転機が訪れたのは、2006年頃。
ひとつは新潟の大地の芸術祭にボランティアで参加したこと。
そして、もうひとつは、ずっと参加していたNPOの仲間たちの地元で体験したこと。
NPOの仲間は郡上の出身が多く、休日に訪れては田んぼや畑で作業をしていると、自分が解放されるような感覚を覚えます。
しかし、東京に戻ると、平日の東京で働く自分と、週末の自分、どちらが本当の自分かわからなくなってくる・・・そんな感覚を持つ中で、次第に郡上の人たちの暮らしや生き方に対し「かっこいい」と惹かれはじめます。
そんな折、仕事がきっかけで、エネルギーの自給について考えるようになります。
エネルギーを使うことで地域からお金を出すのではなく、地域から持続可能な社会を作れないか。そんな風に考えていた中で出会ったのが石徹白でした。
画像:石徹白洋品店
石徹白の地域の人たちに「水力発電をやりませんか」と持ち掛けたところ、意気投合し、石徹白に通ううちに、この土地に惹かれ、ついには会社を辞め、石徹白に移住します。
■暮らしや対話から気づき、引き継がれる地域の伝統
石徹白で小水力発電に奮闘する中で、一部の地元の人から「地域づくりを頑張ってやってるつもりかもしれないけれど、地域づくりなんて今に始まったことじゃない」と言われます。
平野さんが「それってどういうことなんですか?」と聞いてみると「自分たちの手で暮らしを作ること、自分たちの手で村を作ることは、かつては当たり前のことだった」と。
地域のお年寄りに話を聞き、昭和30年頃までは水力発電で電気を自給していたこと、田植えはみんなの家を順番にやっていたこと、田んぼの用水路は100年以上もの間みんなで管理していたことなど、かつての自給の暮しぶりを知ります。
そんな中で、石徹白で伝統的に着られてきた服「たつけ」に出会います。
洋服が一般化する以前、和服は農作業に向かないため、農作業用に「たつけ」というズボンがありました。たつけの裁断・縫製パターンは全く端切れの出ない、貴重な布を上手に使いながら、快適な服を作るという、知恵の詰まった服ですが、徐々に失われようとしています。
幸い石徹白には、作り方を知っている方がおり、この知恵と文化を残すべく、石徹白洋品店として、服作りを行っています。
画像:石徹白洋品店
平野さんが、小水力発電やたつけ作りを通し、感じたことは「いずれも、かつて地域の中で必要とされ、自分たちで作り上げ、存在してきたものである」ということ。
今あるものを活かしたり、最後まで無駄にせずに使い切る工夫をするということ。
今の時代に必要とされている「持続可能な社会」の在り方のヒントは、かつての農村の暮しにあるかもしれません。
そんな石徹白での暮らしの中で感じることは、自然や遊び、食べ物で四季に触れ、与えられた自然や環境、つながりに対する感謝の気持ちを持つことや、自らの手で暮らしをつくり、糧を得ていくことにやりがいを見出したり、お金だけではない価値観に安心感を覚えたりすることなど、「大切なことは、意外とシンプルなこと」だと平野さんは語ります。
確かにこれらは、都会では感じにくくなったことかもしれません。
■今は「疎開ドキ!?」
フードスコーレでは、授業本編が終了した後に「放課後」の時間があります。
ここでは、感想の共有や、授業中には聞けなかったこと、もっと聞きたかったことなどを通じて、さらに理解を深めたり、意見交換を行ったりしています。
今回の授業の中で多く聞かれたのは「いなか暮らしは憧れるけれど、踏み出すまでにハードルを感じる」ということ。このことについても、色々と意見が交わされました。
「都会は少し窮屈に感じる」「自然豊かな環境で暮らしたい」と考えている人や、「子供が生まれたので」「家を建てるか、考えている」など、暮らしが新しいステップに入るタイミングで「移住」や「いなか暮らし」を考えてはみるけれど、決心がつかない。
コロナ禍でオンライン授業、テレワークなどが進み、住む場所に縛られなくて済む一方で、
いなか暮らしに憧れつつも、新しい地域・コミュニティに飛び込む覚悟がつかない。
快適な暮らしを求めて移住したのに、移住先の地域や暮らしがが自分と合わなかったら・・・もし排他的なコミュニティだったら・・・確かに移住には勇気がいりますよね。
では、実際に都会から田舎に移住した平野さんはどのように考えているのでしょうか?
平野さんから開口一番出てきた言葉は「移住をするなら、仲間がいるところ」。
移住をする上で、全然知らない地域に飛び込むのではなく、「仲間がいる地域にいくこと」地域にワーケーションや「あそこに住んでいる人たち、面白そう」「知っている人が移住していってコミュニティを作っている」というように、仲間がいること、人のつながりがあるところというのが、すごく重要とのこと。
平野さん自身は、岐阜でのNPO活動を通じて、現地に仲間が増えていったからこそ、移住が怖くなかった、と言います。
そして「人生すべてを持っていくのではなくて、子供が小さい時だけや、1年だけで移住もいいのでは」と。
コロナ禍の今、都会を離れ、地方で暮らすいい機会。
コロナ中だけ、違う土地で暮らしてみることもできる「疎開ドキ」なのでは?と。
「疎開ドキ」・・・なかなか衝撃的な言葉です。
現在は、以前よりもワーケーションや二拠点生活などがしやすく、行く方も迎える方も抵抗が少ない状況です。自分にとって「面白そう」な地域にワーケーションや2拠点生活で通い、仲間を作り、その土地や人と相性が良かったら、移住する。
一生骨をうずめる覚悟で、ではなく、もう少し気軽で身軽な感じの方が、案外うまくいくのかもしれませんね。
■「面白そう」な方に導かれながら
また、印象的だったのが、平野さんが「東京が好き」ということ。
ライフスタイルで地方移住の話になると、雰囲気的に「自然豊かなところで・・・」となりがちで、なんだか東京暮らしがよくないような扱われ方をすることがあります。
それは東京出身の私としては、少々悲しいこと。
しかし、平野さんはご自身のことを、「どっちかというと都会側の人間」と感じているそうです。
東京で14年間過ごし、友達もいる。決して東京が嫌いで移住したわけではなく、東京は東京の、田舎は田舎の良さも悪さもある。人生が2回あったら両方に住みたい。
授業本編で平野さんが言っていた「田舎に住もうと思って住んでいるわけではない。運命的に導かれたように、石徹白にいる」というという言葉が、ストンと落ちてきた気がします。
私は仕事の都合で地方に移住して1年ですが、今の土地も、東京も好き。
地方出身の人が、都会暮らしをした後に「やっぱり老後は故郷に・・・」となる感覚と同じ様に、私にとっても東京は、懐かしく、恋しく、いつかは帰りたいと思う安心する場所です。
でも、今から「何歳になったら、また東京で暮らす」ときっちり将来設計をするのではなく、変わりゆく環境や自分に合わせながら、その時々の「面白そうな方」に導かれながら、自分と周りが心地よく過ごせるための取捨選択をしていくと、自然と自分らしいライフスタイルになっていくのかな、と感じました。
そう考えると、自分がこれから何を感じ、どんな選択をしていくか・・・未来の自分が、楽しみです。
石徹白洋品店
映画:おだやかな革命
https://odayaka-kakumei.com/about/
平野さんの活動や暮らしが取り上げられています。
- Food Producer
平井 巧 / Satoshi Hirai
foodskole校長/株式会社honshoku代表/一般社団法人フードサルベージ代表理事 1979年東京都生まれ。新潟大学理学部卒業。広告代理店での企画営業を経て独立。「サルベージ・パーティ®︎」を中心に企業・行政のfoodloss&waste にまつわる課題解決を手がける一般社団法人フードサルベージを設立。食のクリエイティブチーム株式会社honshokuでは、「食卓に愉快な風を。」をキーワードに、食にまつわるコンテンツ運営、クリエイティブ制作、プロデュース等を行う。2020年より食の学び舎「foodskole(フードスコーレ)」を開校。 https://www.honshoku.com/
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