RiCE連載「電影食堂」出張編〜山形国際ドキュメンタリー映画祭
山形の日本酒、ウクライナのワイン、イカリングが浸かったビール
憧れつつなかなか時間を見つけられずにいた山形国際映画祭(YIDFF)に今回やっと参加できた。
映画を1日4、5本見るのが普通な日々は滞在が終わるまであっという間で、観たい映画が重なると昼食を食べている時間もない。そしてそんなにまでして見たのに、受賞作の半数しか観ていなかったとのちに知る衝撃…。仕事の都合で受賞作一挙上映がある最終日まで残れなかったのが悔しい。しかし賞に関係なく心に残る作品に出会えるのが映画祭の醍醐味だ。
『山形の酒―蔵王の恵み つむぐ技―』は、山形市と同じくユネスコ創造都市・映画分野加盟都市の英国ブラッドフォード市との提携で制作されたプログラム「風景×映画」の一編だ。山形市の文化創造都市事業の一環で制作された作品で、『紅花の守り人』などの代表作がある佐藤広一監督が手がけた。
佐藤広一監督 ©︎山形市 山形市創造都市推進協議会
山形市内には寿虎屋、秀鳳酒造、男山酒造と三軒もの酒造がある。『山形の酒』はその三酒造の成り立ちと酒づくり、さらに、元蔵人の日本酒専門店店主が三酒造の酒をブレンドし、新しい酒を生み出すまでを描く。
「世界でワインと勝負する日本酒」が当初から目標にされ、山形県も独自の酒米、出羽燦々を11年かけて開発。努力の背景には、73年をピークに日本酒が生産量を落としていった危機感があった。日本酒が世界のグルメに注目されるまで、半世紀近くの多くの人々の努力の蓄積があったわけだ。
©︎山形市 山形市創造都市推進協議会
同じく佐藤広一監督による併映の『オーケストラがある街』では山形市に交響楽団を生み出して定着させた伝説の指揮者が、まさに「文化というのは(育てて定着させるのに)すごく時間がかかる」と言っていて、山形人の粘り強さをうかがわせた。初参加の私にとっては、これは山形の人々の人となりがわかった上映会でもあって、「街に人がいないのにオーケストラ会場に人がいる」などという話でみんな大笑いする。小学校だった建物を利用したイベントスペースでの上映で立ち見が出るなか、若い男性がお年寄りに席を譲っていたり、後ろの人に会釈しながら椅子席をずらす地元の方と映画を見るのはなんとなくほっこりする体験だった。
そんなほっこりするドキュメンタリーばかりではもちろんない。YIDFFは多様なドキュメンタリーの上映が行われることでも知られる。「これはドキュメンタリーなんですか?」と観客から質問される作品もあれば、戦争の当事者が撮ったハードな作品もある。
私にとって特に衝撃的だったのは『東部戦線』と『どうすればよかったか?』だった。『東部戦線』はヴィタリー・マンスキーとイェウヘン・ティタレンコの共同監督作品だ。マンスキー監督は2014年からロシアの侵略を受けていたウクライナ東部で救護隊員として働いていた。2022年2月のロシアからの新たな攻撃に「これでみんな避難しなきゃと思うだろう」とカメラに語りかける。目の前で兵士が亡くなろうとする救急医療現場は灰色、みんながワインを飲みながらの救護隊員の友人同士の食事や洗礼式は色鮮やかに描かれ、戦場の悲惨さが浮かび上がってくる。ワインを飲みながらしている会話でも話題になるのは、死ぬ可能性を考えて精子バンクに精子を寄付しておこうかという話だったり、2014年のドンバス侵攻に対する西側の沈黙や「俺がドンバスに行ってロシア軍と戦ったと言ってるのにおばあちゃんは「新聞に書いてない」の一点張りで全然信じてくれなかった」という話だったりする。
『東部戦線』(提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭)
ドンバス侵攻は2022年に東京国際映画祭で上映された劇映画『世界が引き裂かれる時』にも描かれているが『世界が〜』のマリナ・エル・ゴルバチ監督は「ウクライナ政府に助成を求めたがゼレンスキーは出してくれなかった」と言っていて、マンスキー監督の冒頭の言葉からも2022年2月までウクライナ国内でもドンバスは他人事だったことが察せられる。そして『東部戦線』には結末がない。撮影者が地雷で左足を失ったようだ(そう見えるが、済州島虐殺事件の映画を見るため質疑応答まで残らなかったのでわからない。確認しなかったことを後悔している)。その後また激戦地の救護活動でほぼ死んでいるような負傷者を手当てし、ホワイトアウトして監督の激しい息遣いだけが聞こえる。私たちは混乱の中に取り残される。
しかし違う形の長い闘いの記録を同じ日に見ることになった。日本の藤野知明監督の『どうすればよかったか?』だ。
『どうすればよかったか?』(提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭)
若い女性のすごい罵倒で映画は始まる。統合失調症を疑われる監督の姉の声であり、本作は統合失調症の発症理由を解明しようとする映画ではないとのテロップが出て、始まりからただならない。冒頭の罵声が録音された9年前に、すでに最初の発作が起きていたことがわかってくる。両親は医師で研究者、高校までずっと優等生で弟の面倒見もよかった姉は4年かかって医学部に入ったが、解剖学実習で最初の発作を起こした。父の教え子の病院に連れて行き問題ないと言われたというのが両親から弟への説明で、その後一切ほかの医師の診察を受けさせないまま、姉は症状を悪化させていき、弟は家を離れて自分を守るしかなかった。
そもそも冒頭の録音も映画制作のためではなく、姉を心配した弟が証拠として記録したものだった。だからこの映画の大部分の音声はマイクで拾われていない。しかし姉の病状が深刻化していく様子や、弟が家に帰るたび必死で両親を説得しようとする様子ははっきりわかる。弟は31歳で日本映画学校に入学し2001年からカメラを回し始める。
家でカメラを回すのにイベントを言い訳にするので、食事は祝いの席であることが多い。姉を閉じ込めたまま両親も老いていき、最初は手作りだった料理が出来合いのフライ盛り合わせみたいなものになる。母のビールにイカリングを入れる姉。ふざけているのではなく、奇行だ。しかし弟が病院に連れて行こうというのに、母はまたしても反対してビールにイカリングを入れたのは彼女が酒に弱いからだと言い張る。その後、母も認知症になり、姉に麻薬を売っている男が家に侵入してくるなどと言い出す。家の中に精神状態が正常でない人が複数いることになり、父がついに姉の入院を受け入れる。そこまでに25年かかっている。そして入院して3ヶ月で姉は病気を治して帰宅してくる。精神的な健康が戻ったものの肺がんで亡くなった姉を、父はあくまでも研究を手伝った理想の娘として葬る。ホラーかイヤミスかという状況で、私は山岸凉子の漫画の『天人唐草』を思い出したが、両親とも理性的であの漫画のように高圧的ではない。やりきれないのはこの父が家族を愛しているのもよくわかることなのだ。
この中のどの作品も賞に絡んでいないが、これらの作品を私は今後も日本酒やワインを飲むときに思い出すだろう。イカリングの衝撃は忘れられない。
山形国際ドキュメンタリー映画祭2023
WEB www.yidff.jp
- Film Writer
遠藤 京子 / Kyoko Endo
東京都出身。映画ライター。『EYESCREAM』『RiCE』に寄稿、ガールフイナムにてGIRLS' CINEMA CLUBを連載中