『ヴェルクマイスター・ハーモニー』は人間の物語
映画界の生ける伝説タル・ベーラ来日インタビュー
いまでは多くの監督が真似する表現——人物の背後からの撮影や、特徴的な長回し、場面の繰り返しなどを発明しながら『ニーチェの馬』を最後に56歳で引退してしまったハンガリーの名匠、タル・ベーラ監督。現在は後進を育てるべく世界各地でワークショップなどを行い精力的に活動している。
代表作の一つ『ヴェルクマイスター・ハーモニー 4Kレストア版』日本公開に際し、来日中の監督がインタビューに応じてくれた。
——今回の『ヴェルクマイスター・ハーモニー』4K化で、スタッフにどのような指示をされたのか、ご自身はどのあたりまで関わられたのでしょうか。
今回はずっとラボにいてすべてコントロールした。というのも『サタンタンゴ』のレストアをロスでやってもらった経験が最悪で、雨が重要なのにアメリカ人たちは雨をスクラッチだと思って全部消してしまった。そんなひどい経験があったので、今回は全部自分でやって、グレーディングもかなり厳しく監修した。ただオリジナルに比べればレストア版は95%の出来だ。デジタルはいつも何か足りなくて、35ミリフィルムには決して敵わない。
——『ヴェルクマイスター・ハーモニー』はハンガリーの地方都市が舞台で、広場に戦車がいて扇動者がいて暴動が起こりますね。私たちはみんなこれはアレゴリーだと思っていましたが、実はソビエト崩壊十年後のリアルな出来事だったんでしょうか?
この映画は特にハンガリーについての映画ではない。フェアリーテイルのようなつもりで作ったけれども、不幸にして今の世界ではこの映画で描いたような物語が現実のものになってしまった。でも、撮影当時は、宇宙と繋がりをもつこのイノセントな主人公と、終わりの見えないシチュエーションを見せたかっただけだった。まさか現実がここまで厳しいものになるとは当時はまったく思っていなかった。
——フェアリーテイルのようなものとして描いたということで、時代設定もまったくないのでしょうか。
時代設定はまったくしていないよ。全作品に自動車や看板など時代がわかるものは入れていない。なぜなら、我々が興味があるのはある種の永遠であって、確固としたどこかの時代ということではないからだ。人間のリアルな状況には時代は関係ないんだ。
——劇中ヤーノシュがエステルのために食堂でシチューをもらうシーンが印象的ですが、撮影当時のハンガリーの食糧事情はどんな感じだったのでしょうか。
まったく他の国と同じだよ。それにこれはハンガリーの物語ではないよ。彼はただ年老いたエステルのために食料を持っていく。ただそれだけで、あのシーンには隠された背景なんてないよ。
——ヤーノシュとエステルは親戚のように仲がいいけれど、ヤーノシュは単に手助けをしているにすぎないんですよね。
それは人間だから。我々はひとりで生きることはできず、常に誰かに寄り添いたい、寄り添ってほしい、あるいは誰かのもとに属したい、誰かを助けたいと常に思っている。そうすることで、我々の人生はより完全なものになるんだ。
——いまは多くの監督が真似していますが、登場人物を後ろから撮るスタイルを確立したのは監督だったと思います。『ダムネーション/天罰』や『サタンタンゴ』でそうした映像を取り入れた時。最初はどのような意図があったんでしょうか?
(微笑みながら黙って肩をすくめる)ただ、思いついたんだ。多くの映画は時間や空間の感覚を無視しているが、すべての人生は空間と時間があるところで起こる。私にとっては、時間を見せたり距離を感じさせることが重要だった。スタイルではなく、映画に失われていたと感じていたフィーリングから生まれたものだ。
——二年前にズームで合同インタビューさせていただいた時に、84年に来日され、二つの黒点がある絵を鑑賞したことが余白について初めて考えるきっかけになったとおっしゃっていたのですが、先ほどの後ろ姿から距離を感じさせることも含め、モノクロや長回し撮影には余白を感じさせようという意図があるのでしょうか?
それはわからない。人生を生きる上で、誰かに出会ったり何かを見たりして「これは自分にとって大事なものだぞ」と感じる。そうしてそれを誰かと分かち合おうとしたときに、私の仕事は始まる。映画によって違うが、一歩一歩、前へ前へと進んでいく間に、多くのものが目に入る。それに対してまた新たな疑問を抱いていくうちに、前に持っていた答えはもう新しい疑問を解くのには役に立たなくなったりする。そうやって時間をかけながら、何か自分独自のものが見えてくる。時間がかかってもそうやって道を見つけていくしかない。たとえば84年に来たときといまの日本は違う。昔は地下鉄の駅に英語の表記もなかった。いまはどこに行っても英語が書かれていて、ほとんどの広告が英語でショップの名前も英語だ。でも人生は変わっていくものだし、その変化をいいとか悪いとか裁くこともできない。ただ、見てきたものを分かち合うことしかできない。私はそれをやっているだけなんだ。
——監督の長回しは完璧ですが、現場の混乱を避けるために何回リハーサルをやっているのでしょうか。テイクは一回で終わるんですか。
この作品は記憶が正しければ、39のカットからなっている(実際のカット数は37)。そんなに多くはないね。制作するときは、頭の中で構成して進行する。ロケーション現場に一人で座って頭の中で計画を立て、それからカメラのリハーサルを始めるが、そのときは俳優は入れない。自然発生的な彼らの存在感が必要だが、俳優にリハーサルさせると本番で飽きてしまったり機械的に演じられたりして何かが失われてしまうので、それを避けるためだ。カメラの準備ができたら俳優を入れる。テイク数は場合によって変わる。俳優が必要な感覚を捉えていないときもあるし、これという方法論があるわけじゃない。2、3回だと思うけれどそれ以上のこともある。わからないな。
——ちょっとくだらない質問だとお思いになるかもしれないんですが『ニーチェの馬』で登場人物がじゃがいもを食べるシーンは多くの人が印象的だと言っています。食料はじゃがいもだけ、貪るようにそれだけを食べて、だんだん燃料もなくなって食べられなくなっていく。すべての作品に特に時代背景がないということですが、だとするとあの場面は未来のようでもありますよね。未来の食はどのようなものになると考えていらっしゃるのでしょうか?
未来か…未来は我々次第だよ。未来は人々がどう生きるかにかかっている。私は何の期待もしてない。ただ、希望を抱くことしかできない。最悪のケースを回避する希望をね。でも希望に過ぎない。わからない。
——『ヴェルクマイスター・ハーモニー』には音楽や哲学や天文学など多くの知識が出てきますが、日頃どんな本を読んでらっしゃるんですか。
今回の日本に来るのにブダペストに忘れてきてしまったが、最近出版されたボブ・ディランがいろいろな曲にコメントしている本(おそらく『ソングの哲学』(岩波書店))を読んでいたところだよ。彼がどんな曲を聞いて何が好きで何を感じているかがわかって面白いんだ。
『ヴェルクマイスター・ハーモニー 4K』
監督:タル・ベーラ
出演:ラルス・ルドルフ、ペーター・フィッツ、ハンナ・シグラ
(2000年/ハンガリー、ドイツ、フランス)146分・配給:ビターズ・エンド
2月24日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開!
© Göess Film, Von Vietinghoff Filmproduktion, 13 Production
青年ヤーノシュは老音楽家エステルの世話をしている。別居中のエステルの妻は右翼的な運動に高名なエステルを担ぎ出したい。町にはクジラを見せるサーカスが来ている。そのサーカスにはプリンスと呼ばれる話の達人がいるようだ――平和で静かだった小さな町に、ある日を境に戦車がやってきて暴動が起き、静かに暮らしていた人々の生活は混乱を極める。現代を予見したかのような社会の崩壊と人間の尊厳をユーモラスに描く傑作。
Photo by Kyoji Takahashi(写真 高橋恭司)
Interview & Text by Kyoko Endo(取材・文 遠藤京子)
- Film Writer
遠藤 京子 / Kyoko Endo
東京都出身。映画ライター。『EYESCREAM』『RiCE』に寄稿、ガールフイナムにてGIRLS' CINEMA CLUBを連載中
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